会長の今思うこと

2021年4月
最後に残っていた一都三県へのコロナの緊急事態宣言が解除されましたが、大阪・宮城・兵庫などの増加傾向が目立ち、ここにきて第四波への懸念が言われ始めています。
一年以上続き、終わりのないコロナ感染に自粛の疲れが出てきていることは否定できません。オリンピック・パラリンピックは海外一般客の受け入れを断念することで何とか実施しようとしています。今は東日本大震災の復興五輪ではなくコロナ禍に打ち勝った証としての開催に重点が置かれ、前例のないオリンピック中止という事態は何としても避けたいという意向の強いIOC、組織委員会、東京都が協議し開催に持ち込もうとしています。

四年に一度のアスリートたちの祭典を何とかして実施したいという気持ちは分かりますが、
滞在中の選手たちの行動制限、万が一参加した関係者から感染者が出た場合の対応などを考えるとその準備に相当な労力と時間が必要です。また国内一般客も人数が制限された中では、スポーツの感動をアスリート達と共有するという迫力にも欠けるのではないかと思います。今年1月のテニス全豪オープンは一人の感染者も出さずに開催できましたが、参加人数の桁が違いますし、会場も1か所のみです。中止した場合の経済的損失を考えると、オリンピック・パラリンピックを何としてでも開催したい思いは分かりますが世界的にまだ終息が見えない状況下、開催後の感染増を防ぐためにも中止の大英断を下してはどうでしょうか。

日本は2050年までに温室効果ガスの実質ゼロを宣言しました。温室効果ガスのなかで
大半を占める二酸化炭素の排出を抑えるために火力発電から自然エネルギー発電への移行、またガソリン車から電動自動車への移行などを進めていこうとするものです。2050年と期限を切ったのは他国から遅れを取ってはいけないという政策判断によるものですが、解決すべき問題も多く実現可能かどうかとなると疑問が残ります。
トヨタ自動車が静岡県裾野市での未来都市‘ウーブンシティ’構想を発表しました。自動車会社からモビリティ(移動体)カンパニーを目指し、自動運転や新しい移動サービスなど様々な未来技術を駆使した実験都市を作ろうというものです。これはGAFA(グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル)、テスラモーターズの台頭を意識したもので、GAFA、テスラはその財力を生かし、様々な分野へ進出しようとしています。自動運転然りまた宇宙分野然りです。アマゾンのペソス氏、テスラのイーロン・マスク氏は月、火星への探査に本格的に取り組もうとしています。このように人類の英知によって一昔前までは考えられなかった自動運転、民間人の宇宙旅行がビジネスとしてまた投資対象として脚光を浴びつつあることは驚くべきことです。地球に代わる惑星への移住計画などが真剣に議論される機会が
近い将来にあるかもしれません。
人類の飽くなき探求と技術進歩が世の中をより過ごし易くなる空間に変えてゆくことが理想でしょう。

2021年1月
明けましておめでとうございます。
コロナ感染の勢いが止まらずに年を越しました。ワクチンの接種がイギリスから始まりましたが、接種数の普及はまだあまり進んでいません。政府は経済と感染防止の両立をまだ図ろうとしており、厳しいロックダウンにはなかなか踏み切れません。ここにきてようやく4都県の要請を受けて緊急事態宣言を発するに至りましたが、これとて強制力はありませんし、罰則規定の整備も国会の開会を待たねばなりません。今回の緊急事態宣言時の状況も昨年春のそれに比べると格段に悪くなっているのにも関わらず、規制は緩やかです。昨年春は手探り状態で学校休校を含め規制を厳しく設定し、その結果約1.5か月サービス業を含めほとんど経済が壊滅状態に陥ったのを教訓に何とか経済減速を最小限に抑えたいとする政府意向が見て取れます。緊急事態宣言は感染爆発の兆候が出た時に事前に発するものですが、今回のように爆発の真っただ中で発するというのも遅きに失したという感じはしますし、政府関係者の態度には何としても最悪事態を収束させたいという切迫感に欠けます。国民もコロナ馴れ・疲れしてしまって危機感が薄く、自分がコロナに感染して人にうつすかも知れないという意識を一人一人がはっきりと持てば状況は変わってくると思います。

政府の判断は専門家の意見を尊重し、早め早めの決断が重要と思いますが、感染状況をみてからの判断で政策の後追い・小出しが事態を深刻化しています。政府の記者会見を見ていても記者からの質問は我々国民が本当に知りたい肝心なことはではなく、政府の通り一遍の
回答に突っ込むこともなく緊張感のない会見になっています。
政府は飽くまで半年後に迫ったオリンピック・パラリンピックは予定通り開催するつもりでそのための方策をいろいろ考えているようですが「コロナに打ち勝った証」としての開催は完全な形にはならず、色々と制約を設けての開催にはあまり意味がないと思われます。

日本の若者の政治への関心が薄いと言われていますが、これは政治が代わったところで自分たちの生活は大きくは変わらないという政治とは距離を置く気持ちが強いからで、政府が言葉は勇ましいが実効性がないと思われる政策を色々と提言しても、他人事のように捉える若い人が多いように思います。いずれ時間がかかってもコロナ禍は収束するでしょうが、コロナ以前と全く同じ生活・価値観に戻ることは恐らくないと思います。コロナ騒ぎで一時的にあまり話題に上らなくなった地球規模のSDGs(Sustainable Development Goals国連で採択された持続可能な開発目標) の17の2030年までの目標達成に向けて、アフターコロナの世界各国の政策目標としてその達成のために各国が軸足を移すべきと考えます。世界の若い社会活動家が熱心にSNSを通じてSDGsの問題について発信中で日本の若者もこれに触発されて徐々にではありますが、応じてきています。
コロナが話題になってから早一年、ここまでコロナ禍が長引くとは誰も思っていなかったですし、この先の収束の仕方が読めませんが、過去を振り返ってこんなウィルスに世界中が翻弄されていた…と言える時が一日も早く来ることを願っています。

2020年10月
日本の首相が代わりました。安倍内閣で長年官房長官を務めていた菅義偉氏が内閣総理大臣に就任しました。内閣支持率は安倍政権末期では不支持が支持を上回っており、その安倍内閣を菅政権では政策を継承するという基本的姿勢にも関わらず歴代内閣でもトップに近い高い数字を記録しました。これは官房長官を長い間務めて国民に対する露出が一番あり、馴染みがあったのと万事そつなくこなしそうだという特に支持しない理由がないからという結果かもしれません。これからという期待値を含んだ数字と言えます。

米国の大統領選挙が今年の11月にあります。民主党のバイデン候補が再選を狙う共和党のトランプ大統領を一歩リードしています。二人の討論会が行われましたが、政策論争はそっちのけでお互いに非難の応酬でした。テレビ討論では如何に相手の候補者を圧倒し、視聴者の印象を良くするかに重点が置かれています。  つい先日トランプ大統領が新型コロナの陽性が判明し、短期間入院しました。ホワイトハウスでクラスターが発生し側近のスタッフが30名以上感染しています。新型コロナを軽視していたトランプ大統領が新型コロナに感染しましたが早期に克服できたことを何とか選挙戦に有利に展開させるか思慮中ですが、新型コロナに打ち勝ったということで強い大統領がアピールされるのでなく、世界一の感染国となっている国のトップとして自覚が足りないということで支持を落としつつあります。入院した病院では最先端の医療を受けていたでしょうし、アメリカ国民全員が大統領と同じ水準の医療を受けられるわけでは決してなくコロナに打ち勝ったということではありません。

世界的に新型コロナの感染者は衰えを見せません。コロナ感染前の状況に戻るにはまだ相当な時間がかかりそうです。リモートワーク、ワーケーション、オンライン飲み会、ソーシャルディスタンス、非接触型社会が正常な形とは思えません。With コロナとも言われていますが、これは将来的にワクチンが開発されたとしても感染者ゼロにはならないという意味でコロナと共生せざるをえないということだと思います。感染前の状況にはまず戻らないとみてコロナ後の新しい社会のあり方について企業、個人ともに模索しています。 国、地方自治体ともに一旦底に沈んだ経済の立て直しのためにGo to travel、Go to eatなど様々なキャンペーンを打って観光業、旅客運送業、飲食業など痛手を被っているサービス業を支援していますが、十分ではありません。国内から世界に目を転じても発展途上国においては末端の人々までコロナの知識を徹底して、予防するのは困難で対策は十分とは言えず、まだまだ感染者数は増える気配です。
各国とも経験したことのない、終わりの見えないウィルスと格闘中ですが、かつてペスト、 スペイン風邪のパンデミックを経験した人類は世界の最新医療を結集してあと何年かかろうと新型コロナウィルス感染を終息に向かわせるのではないでしょうか。

2020年7月
新型コロナウィルスが世界的に衰えを見せません。日本で感染者が見つかって約5か月が経ちましたが感染者数がピークオフしたと思いきや、東京での感染者数が増える傾向にあります。感染者数が世界一の米国では東部は縮小傾向にありますが、西部では拡大しており、 早めに解除した飲食店来客規制も再度実施しなければいけなくなっています。

日本ではインターハイが中止になり、夏の全国高校野球も中止になりました。その他スポーツイベント、コンサート、大規模な夏祭りなど‘蜜’が懸念されるものはすべてが延期ないしは中止を余儀なくされています。ようやくプロ野球が無観客で始まり、観客を入れる予定になっており、プロサッカーも無観客で始まりました。テニスは全米オープンが観客を入れて8月末に行われる予定ですが、先日男子プロランキング第一位の選手が主催するエキジビションマッチで十分なコロナ対策も取らずに‘蜜’な状態で行われたため、参加者数人がコロナ陽性となってしまいましたので、全米オープン開催もどうなるかわかりません。

飲食業、サービス業も緊急事態宣言が解除され、営業が始まりましたが、営業時間の制限、蜜にならない人数の制限があり、良くても通常営業の半分で、採算点に持っていくのはまず無理です。多くの飲食店が持ち帰りを始めていますがこれも窮余の一策というかあまり店の利益には貢献しないと思われます。飲食・宿泊業もインバウンド消費に頼るところも多いと思いますが、渡航制限が続いている限り、インバウンド消費は期待できません。

働き方もコロナ騒ぎを機にだいぶ変わりそうです。リモート勤務のメリット、デメリットが言われていますが、社内的には職場の人間関係から逃れられ、通勤時間の短縮がメリットとして挙げられ、またデメリットとしては上司の監督が十分行き届かず、緊張感の欠如、オンオフの切り替えがはっきりしないなどが挙げられます。しかし対外的な業務で人と接しての営業が求められるものは中々リモートワークに切り替えるのは難しいと思われます。職種としてリモートワークに馴染むものはこれを機に切り替えられるのではないでしょうか。

世界的なコロナ騒ぎがこの先どのくらい続くかわかりませんが、コロナ前の状態に戻るには時間がかかりそうです。来年予定されているオリンピックは規模を縮小し何とか行いたいとの日本側意向ですが、辞退する国も出てきそうですし、日本としてもオリンピックがパンデミックの引き金になってはならないという重圧が相当かかると思われます。国と東京都の財政もコロナ関連で相当額支出しましたし、これ以上の支出は何とか避けたいというのが本音ではないでしょうか。あと1年で終息するにはそれまでにワクチン、治療薬が広く世間に行き渡らなければ難しいでしょうし、通常でない状態でのオリンピック・パラリンピック開催はその準備・労力・費用を考えると相当無理があると考えられます。何となく盛り上がりに欠けますし、早めの中止判断が賢明ではないでしょうか。

2020年4月
新型コロナウィルスが世界的に蔓延しています。日本は感染が爆発的に拡大している米国、一部欧州諸国に比べると感染者数、死亡者数はそれほどではありませんが、東京都及び近隣諸県では大企業はテレワークが推奨され、週末の外出が自粛となり、平日も夜間が外出自粛対象になっています。スポーツイベントは軒並み延期、または中止となっています。オリンピック・パラリンピックも1年延長になり2021年夏の開催となりました。いつ収束するかわからない中での判断ですが、もし完全な形での開催となれば1年先でもまだ確実ではありません。もし来年開催できない場合、再延期はなく恐らく中止となるかもしれません。

各国の経済指標も史上最悪となっています。終わりが見通せないだけにかつてのリーマンショック、東日本大震災を上回るリセッションが予想されます。人間の知恵対コロナウィルスとの戦いといっても良いでしょう。このまま長期戦が予想されますが予防用のワクチン・治療薬がない現状、今はすべてを犠牲にして何とか感染拡大を防止しなければなりません。
国民一人一人が人に移すリスクを自覚し、不要不急の外出は極力控える行動が求められています。

新型コロナウィルス関連のニュースが新聞各紙のほとんどを占めてほぼ2か月が経過したわけですが、この間紙面を賑わす他の大きな事件がありません。世界的に都市のロックダウン、外出自粛など政治的・経済的・文化的な活動が停滞・停止している以上、起こりにくい状態になっているのは否めません。それだけ各国がコロナウィルス感染防止に国を挙げて取り組んでいるということだと思います。

米国をはじめ欧州各国の都市封鎖で感染者数がピークオフの兆候をいまだにはっきり見せない状況を見ると、日本で出された緊急事態宣言では生ぬるく、各自治体と未だに協議の必要があるというのは政府決断の欠如と言えます。菌の世界的蔓延というこれまで経験のないことで手探り状態にあることはわかりますが、様子を見ながらの判断では後手に回り、日本人独特の横並び姿勢(強制ではないが自己判断に委ねる)に期待するのも限界に来ていると思います。

国は何とかGDPの急減を避けたいとの思惑から事態の様子見をしているのではないかと思われますがこのままでは年内の収束は難しくなるのではないでしょうか。
例え日本が収束しても世界的のどこかで収束していなければ、海外渡航を制限しない限り第2、第3の波が訪れることはあるのではないかと思います。結局ワクチン・治療薬ができるまでは、新型コロナウィルスとは付き合っていかざるを得ないのではないでしょうか?

2020年1月
明けましておめでとうございます。
昨年は自然災害に見舞われた年でした。台風15号では千葉県が暴風で被害を被り、19号では関東各地で雨による甚大な被害が出ました。箱根登山鉄道は台風19号の影響で未だに不通区間があり全線開通するのは今年秋と言われています。一方で日本の平均気温は温暖化の影響で平年より0.92℃高くなり歴代最高となる見込みです。世界を見ても昨夏はヨーロッパで40℃を超えましたし、オーストラリアの森林火災は昨年9月に発生して以来まだ鎮火の兆しを見せていません。動物がこれまで約5億匹死に生態系に影響が出始めており、
オーストラリアでの少雨乾燥傾向が被害を大きくしています。
COP25にて日本は二酸化炭素の排出量が多い火力発電を推進する立場から、批判の的に晒されていますが、米国が正式離脱した今、足並みが乱れつつあります。スェーデンの学生のグレタさんが世界中の政治家が話合っても何も進展しない現状に苛立ち、自ら立ち上がり若者をリードしています。地球温暖化を防ぐには現在の各国CO2排出量を大幅に削らなければなりませんが、欧州各国がベースロード電源を自然エネルギーへと舵を切っているのに対し、我国は原子力発電の再開にはまだ時間を要し、ベースロード電源は石炭、LNGによる火力発電に頼らざるを得ない状況です。

2020年はいよいよオリンピック・パラリンピックイヤーの幕開けです。旅行会社のJTBはインバウンド観光客の予想を2020年は2019年の7.9%増の3,430万人と見ています。一方政府の目標値は平成31年3月末で4,000万人としていますが、2019年は日韓問題で8月以降の韓国からの観光客が減って9月以降はペースダウンしており、1.9%増の3,180万人と推計され今年の4,000万人達成は難しいと思われます。
最近のメディアを見ているとオリンピックと同様にパラリンピック報道にも力が入っているように思えます。パラリンピックは1988年ソウルオリンピックからオリンピックと同一開催都市になり同じ競技場を使用するようになりました。パラリンピックが徐々に注目され、選手ともどもメディアで紹介されることは非常に良いことです。パラリンピックのホスト国としてオリンピック同様に盛り上げてもらいたいと思います。オリンピック・パラリンピックの東京誘致が決まった当初はシンボルマークの盗作問題、新国立競技場の予算削減の問題からその前途が危ぶまれましたが、さすが日本と思われるような立派な大会となってほしいと思います。

オリンピック後の景気減速は盛んに懸念されるところですが、2025年に大阪万博が控えています。2021年は多少落ち込むでしょうが、それ以降は今年のオリンピック・パラリンピック波及効果による旺盛なインバウンド需要が継続し、観光立国日本という新たな一面が 脚光を浴び景気を支えるのではないでしょうか?またこれに加えAI、IOT、自動運転などの 技術が身近なものとして感じられるようになる第4次産業革命が近未来のものとして考えられ、またリニア新幹線が2027年開業予定であることから底堅い景気は維持されるのではないでしょうか。

2019年10月
ラグビーワールドカップは日本の開催でまた日本の快進撃で大いに盛り上がっているところです。ラグビーはルールが難しく、日本では馴染みが薄かったスポーツですが、ワールドカップが始まる直前に終了したテレビドラマで弱小だった企業のラグビーチームが一年発起してリーグ戦で優勝するという物語が結構な前宣伝になったと思います。今回のワールドカップのキャッチコピー「四年に一度でなく、一生に一度だ」これも日本のワールドカップを盛り上げるのに一役買っています。ルールは確かに複雑で分かりづらくテレビで解説されているものの十分に理解できていません。しかし動きが非常にアクティブで攻守があっという間に入れ替わるのは見ているものの目をくぎ付けにします。ラグビーはイギリスが発祥の地で盛んに行われており今回のワールドカップには大英帝国(グレートブリテン)からイングランド、スコットランド、ウェールズと3チームが出ています。ラグビーは元々上流階級の紳士のスポーツと言われ、相手を重んじる精神を大事にします。試合が終われば「ノーサイド」で敵、味方なくお互いの健闘を称えあう場面は、いつ見ても気持ちの良いものです。

消費税が10月1日より8%から10%に増税されました。一方で8%に据え置かれる軽減税率があり、現場を混乱させています。税率が8%に据え置かれる対象の商品は「軽減」税率適用ではなく「据え置き」税率適用の方が相応しい言い方かもしれません。「軽減」というといかにも8%から軽減といったイメージで捉えやすく消費者に誤った印象を与えかねないものだと思います。外食と持ち帰りが混在するマクドナルドのようなファーストフード店では外食と持ち帰りの値段を一本化しています。期限付きのキャッシュレス決済のポイント還元はどれだけキャッシュレス決済を増やすことになるのかわかりませんが、現金社会に慣れた日本では綺麗なお札が流通していますし将来的には新札が発行予定で、これをきっかけにキャッシュレス決済が普及するとは思えません。

東京オリンピック・パラリンピックの開催まであと300日を切りました。酷暑対策が盛んに言われていますが、かつての招致委員会では開催時期について(オリンピックは7/24~ 8/9)「この時期の天候は晴れる日が多くかつ温暖であるためアスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候である」と述べています。オリンピックの一番のスポンサーである米国のテレビ局が米国プロスポーツのオフシーズン(人気のアメリカンフットボール、バスケットボールは9月に始まる)である7-8月以外の開催を認めないことから7月下旬から8月上旬という1年で一番暑い季節をこのような表現で言わざるを得なかった招致委員会の苦労が読み取れます。酷暑対策としていろいろ考えられていますが、打ち水のような申し訳程度の対策でお茶を濁すしかなさそうです。マラソン、競歩は早朝のスタートにするようですが、ボランティアの方々の苦労が増えそうです。とにかく相手はコントロールできない自然が相手なので、開催時期の涼しい夏を祈るばかりです。 1964年のオリンピック開会式は前日までの雨がうそのように上がり、快晴となりました。 日本には神様が存在する、といわれた所以です。来年の夏は作物に悪影響を与えない程度に涼しくあってほしいと思います。

2019年07月
身の周りの災いなどが発生する確率がかなり低いので自分は大丈夫だと自信を持って言う人がいますが、確率ゼロでない限り自分の身にも起こり得る、全く起きないという保証はないと考えたほうが良いのではないでしょうか。これまでないからこれからも永遠にゼロであり続けるというよりもそろそろ起こり得ると考えたほうが現実的です。物理的にあるいは科学的に全くあり得ないということを別にすれば世の中何でもあり得ると考えたほうが良さそうです。想定外のことが普通に起きる世の中です。

高齢者の自動車事故が最近増えています。最近とみに報道される機会が多く、昔はこんなに頻繁ではなかったとの印象を持ちます。昔は高齢者の事故が少なかったのかあるいはあっても世の中が現在ほどの高齢者社会ではなく今でいう高齢者の運転はそれほど多くはなかったのではないかと考えています。運転ミスではブレーキを踏むつもりが間違えてアクセルを踏むケースが多くなっていますが、なぜこのようなことが起こるのかと考えてしまいます。こういう私も高齢者の部類に入りつつあり、自分ではあり得ないと思っていますが、かといって将来においてもそうなのかとは中々言いきれません。咄嗟の時の判断の鈍さ、パニックに陥った場合の頭脳の混乱などが、考えられないような運転操作ミスを引き起こすのかもしれません。最近では踏み間違えないような補助機器の据え付けなどが流行ってきていますが、とにかく車は走る凶器です。自分に限ってはアクセルとブレーキの踏み間違いは起き得ないと考えるのではなく、車が生活する上での必需品でない限り、歳を経て運転に不安、こわさを覚えるようになったら免許は返納すべきタイミングと考えます。

こちらから話しかけて相手が何も返事をしない、何のリアクションもしないといったことがあります。話しかけたほうは無視されたような印象を持ちます。考えている間の沈黙、あるいは返事をせずに頷きで返しているケースもあると思いますが、話し掛けたほうは何らかの言葉で発したリアクションを相手から期待します。話し掛けられた場合は相手の目を見て話を聞くという態度をはっきりと見せるのが、話し掛けた人への礼儀です。心ここにあらずといった感じで話し掛けた相手とは違った方向に視線を向けるとか、パソコン、書類に目を落としたまま聞くのでは相手に失礼になりますし、話を聞こうという姿勢が感じられません。今忙しいからちょっと待ってくれという一言も大事になります。仕事でも家庭生活でもお互いにコミュニケーションをとる上で話を聞く態度は非常に重要なことです。

人から話を聞く、読むなどのインプットだけでは吸収したことがあまり頭に残らず、これを書き留める、あるいは誰かに話さなければ記憶として定着しません。そしてこれを十分理解し誰かに説明することができなければ本当の知識と言えません。人から聞いて分かったつもりでも人に説明するとなると十分な説明ができなくなる、如何に不十分な理解のまま分かったつもりでいたかを悟るようになります。自分の生きた知識とするには相手からの質問に何でも答えられなければなりません。そして完結は自分で得た知識を行動に移すことです。そうすることによって知識は本当に生きた知恵になります。

2019年04月
「令和」、新元号が決まりました。これほど新元号が注目された年はありませんでした。改元の年月日が明らかにされていましたし、マスメディアでは新元号の予想も立てられました。平成の始まりは昭和天皇の崩御後であり、世の中は自粛ムードだったと記憶しています。
今回は「平成30年を振り返る」などの回顧番組も多数ありましたし、「平成最後の…」という枕詞が耳障りなほど聞こえてきました。平成は戦争のなかった時代でしたが、令和はどのような時代だったと後世に語り継がれるのでしょうか?平成の倍以上のスピードでめまぐるしく世の中が変わっていくのではないでしょうか。私も昭和のノスタルジアを感じる歳ですが、終わりのない技術革新の波が次から次へと押し寄せてくるのでしょう。

先日国連より国別世界幸福度ランキングが発表されました。興味本位でしか順位を見ていませんが、一方でなぜこのような順位になるのか推察したくもなります。幸福度はいくつかの項目を数値化していますが、これは国の構成要素である国民一人一人が今をどう感じているかを調査するのではなく客観的な側面から国の現状を数値化したものでその意味でこのランキングは本当に国民の幸福度を反映しているのだろうかと思います。
日本は全200か国中58位でした。幸福度を測る項目としては一人あたりのGDP、平均余命、寛大さ、社会的支援、自由度、腐敗度とのことですが、国民に今の人生、振り返って過去の人生、あるいはこれからの人生が幸せか、不幸せかを問うて、何%が幸せに感ずるかを集計したほうが実態に近い幸福度と言えるのではないでしょうか。国連のやり方であれば国民でなく国が幸せかを測るものであり、国民一人一人が実際にどう感じているかの肝心の視点が抜けています。日本が58位という順位もそれぞれの項目を見れば何となく頷けます。社会保障の手厚い北欧が上位にあるのも理解できますが、言論弾圧の激しいあのサウジアラビアが18位というのはうなずけません。多くの世界ランキングは裏付けのある数字をべースにしており信頼性はありますが、幸福度ランキングのように調査に携わる人の私情が入り易いランキングについてはその信憑性に少し疑問符が付きます。

それにしても日本の世界ランキングは凋落傾向です。一人当たりのGDP、競争力ランキング、子供たちの学力ランキング、報道の自由度ランキングなど、順位を落としているものが多く明らかに国力が低下していることを意味しています。かつての資本主義国の優等生はどこに行ったかという感じを抱きます。実質賃金の値下がり、実質購買力の低下、消費増税、政治に対する不信感、年金支給に関する将来不安など、ハッピーとは言えない状況が続いています。

先日ある女性歌手のコンサートに行ってきました。コンサートの年間スケジュールが1年前以上に決まり、何時間のステージに立つわけですから、健康を維持し喉の調子も崩さずにその日に望む、このようなストイックな管理をしなければなりません。毎日ではないにしろ大変なことです。歌舞伎役者、劇場役者は毎日の講演を何日間も続けなければなりません。欠席すれば公演中止、あるいは急遽代役をたてるなどの方策を立てねばなりません。
商売の上とはいえ、きちっとした自己管理に頭が下がる思いです。

2019年01月
明けましておめでとうございます。
2019年の経営指針は「永続する経営」に定めました。
当社主要取扱品である大型建設機械部品の世界需要急減で2013年度より厳しい経営状態が続いていましたが、2017年度後半からようやく需要が回復し、事業環境が好転し始めて います。
当社が所属している秦野商工会議所は昨年設立70周年を迎え、この機会に会員の中で100年企業を公募しましたが17社公募がありました。人口17万人の秦野に100年企業が17社あるというのは驚きでした。当社は今年で創立62年目を迎えます。
諸先輩方が苦労の末立ち上げた会社を未来に後輩たちへ引き継ぐのが我々に負わされた責任であり、当社も100年を超える長寿企業にこれからしてゆかねばなりません。

その意味で無理な背伸びはしない、得意な分野に技術力を集中させ、新規設備投資ははっきりとした勝算のない限り行わないということを肝に銘じ、規模は追及せず堅実な持続可能な経営を心掛けていきたいと思います。
正直・誠実・謙虚を会社風土の基礎として‘売り手良し’、‘買い手良し’、‘世間良し’の「三方良し」の精神で永続して業務を続けていきたいと考えております。
社会が求めているもの、社会にとって本当に大事なものを正しく認識し、そこに価値を見出す、社会にとって「良い会社」でありたいと願っています。

今、様々な技術革新の波が押し寄せています、AIロボット、キャッシュレス、自動運転、空飛ぶ車など我々にとってはまだ身近な存在とは言えません。便利を追求する、便利な生活を保障する、これ自体異論はありません。ただ高度に自動化された社会は本当にすべての人間にとって幸せなものなのか疑問です。スマホ、家電の機能が複雑すぎて中々使いづらいという消費者の声があります。メーカーの立場からすると様々な付加価値をつけて高価格で買ってもらおうという意図が見え、少なくもユーザー目線ではありません。このような反省から誰もが分かり易いシンプルな使用方法に回帰しようとする動きが出ています。

これからはキャッシュレスが普及しそうです。キャッシュレスであれば受け取り側は釣銭を支払う必要がなくまた帳尻を合わせる必要がなくなり、非常に便利です。一方で支払い側は現金払いであればなるべくお釣りが少なくなるようなお札、コインの組み合わせを考えますが、キャッシュレスとなれば全く頭を使いません。自動運転になれば運転をするという緊張感・集中心を人間から奪うことになります。このように技術革新による機械化・自動化は人を怠惰にする危険性も十分はらんでいると言えます。

平成最後の年になってしまいました。テレビで平成を振り返るというような番組を見ていると年号が変わるというのは一つの時代が終わったという寂しさを感じます。新年号元年はどのような年になるのか、また新年号は‘自動化が普及し社会生活が画期的に便利になった時代’として将来語り継がれるのでしょうか?

■ 2018年10月
テニス愛好家として是非取り上げたいのは、大坂なおみ選手のテニス全米オープンの制覇です。かつて日本人の誰もが 為し得なかった偉業を若干20歳の大坂選手が成し遂げました。これまでの日本人のテニスグランドスラム最高成績は 2014年全米オープンの錦織選手の準優勝です。セレナ・ウィリアムズ選手との決勝戦ではウィリアムズ選手が主審の警告 ・ペナルティを不服として主審に激しく抗議しましたが、覆されず、ブーイングが飛び交う中、正常心を保ち続けた大坂選手 がストレートで勝ち切りました。試合後の表彰式が始まった途端、表彰のステージに激しいブーイングが観客席から浴び せられました。これは誤った判定によってアドバンテージを得た大坂選手が優勝し、試合前は観客の誰もが信じて疑わ なかった地元のセレナ選手が優勝するという期待が見事に裏切られたことへの、フラストレーションがそうさせたのでしょう。 大坂選手が涙ぐむ場面がありましたが、セレナ選手の大坂選手に対する慰めと「ブーイングは止めて」というセレナ選手 の呼びかけでその場は収まり、表彰式は無事に終了しました。この時の大坂選手の態度が控えめで純粋で日本人的 だとして賞賛を浴びました。このようなブーイングを浴びせる観客の態度は日本では考えられません。地元選手へのひいき はありますが、勝者をけなすようなことは決してしません。日本人の観戦マナーの良さは世界でも有数です。今回の件は、 第50回大会記念大会に産休後のセレナ選手が見事栄冠を勝ち取るというシナリオが見事に崩れた観客の憤りが、 セレナ選手の怒りに重複されて思わず出てしまった出来事と言えます。ライブでこの試合を見ていましたが、大坂選手は セレナ選手を実力的に終始圧倒していましたし、問題なく勝者に値すると言えるでしょう

社名、商品名には名づけられた由来があります。当社の‘極東窒化研究所’は「窒化の研究」をしているわけではありま せん。窒化処理の事業会社です。‘研究所’の名前の由来は窒化処理がまだ商業化されていない約60年前に、 別会社として独立する前の親会社窒化部門で大学と神奈川県の研究機関と共同で何回か試作を繰り返し、やっと 技術的に問題ないところまで行き着き、新会社を設立したわけですが、この時の熱心な研究心をいつまでも忘れずに 持ち続けようということで社名に‘研究所’を付けたと聞いています。例えば東京ディズニーリゾートを経営する「オリエンタル ランド」は‘東洋一のレジャー施設の建設’を目標に作られました。当初バラ園を作る目的でしたが、視察時の米国で たまたま訪れたディズニーランドに感銘を受けこれを日本に誘致しようということになったそうです。

商品名についてもその由来を辿ると歴史的背景が良く分かります。「アンデスメロン」は株式会社サカタのタネが「作って 安心」、「買って安心」、「売って安心」で「安心ですメロン」という商品名でメロンを売り出しました。ところがセンスがない、 メロンには「芯(心)」がないということで「アンデスメロン」としたそうです。南米のアンデス地方とは全く関係がありません。 またハウスの「ククレカレー」のククレは「クックレス(Cookless)」から来ています。まさに調理不要のカレーということになります。 このように会社名、商品名の由来を調べると様々な議論を通じてたどり着いた先人たちのネーミングの苦労がわかります。

■ 2018年7月
W杯サッカーで日本代表は下馬評を覆しアジアグループの国の中で唯一決勝トーナメントに進みましたが、1回戦で世界 3位のベルギーに惜敗してしまいました。W杯での戦いぶりは大健闘と言っていいかもしれませんが、西野監督は解任される ことになりました。わずか3ヶ月あまりの監督生命でした。W杯前の練習試合の結果がそれほど良くなかったとはいえ、W杯 直前での監督交代、そしてW杯直後の監督交代はW杯のためだけの監督就任ということになります。首脳部が長期的 にどのような意図を持って監督の人選をしているのか良く分かりませんが、首脳陣内部だけの思惑で決められているの かもしれません。

それにしても4年に一度のお祭りとはいえ、ベルギー戦では真夜中(明け方)の生中継放送で視聴率30%超を記録しました。 新聞、テレビなどのメディア報道が初戦のコロンビア戦に勝って以降、連日期待を込めてトップに近い報道をし、サッカー人気 を盛んに演出していたことによるもので、サッカーに関心の薄かった人も国の最大関心事であれば見ておいたほうが良いだろう ということで、これほどの視聴率を稼ぎ出したのでしょう。

最近の国会運営は大いに問題あります。小数派の意見があまり尊重されないし、取り上げられない。権力者の意見は 絶対といった風潮があります。現在の国会運営はまさに与党独裁といった感じで、野党が審議拒否しても最後は与党 多数で押し切られ法案がそれぞれ通ってしまう。高度プロフェッショナル制度もカジノ法案も国民の60-70%が反対している にも拘わらず成立した、または成立しそうです。国民の代表である国会議員が党の意向に逆らわずに、民意を無視して 賛成するという暴挙がまかり通っています。民意を反映していない国会など意味はありません。経済界に目を向けた政策 方針と言ってもいいかもしれません。国民は反対の声を上げるでもなく、決まったものしょうがない、現実として受け入れよう ということになり、時間の経過と共に忘れ去られていくのだと思います。

モリカケ問題にしても政府の虚偽答弁が国会で通ってしまい、何となく事態は収束方向に向かっているという信じられない 結末になりそうです。現内閣にしてみれば野党も国民も眼中にはありません。非常に扱いやすいと見下しています。政治に 関心を失い、政治には何も期待しないという国民が増えてきそうですが、これは政府与党の期待するところでもあります。 政治に頼らなくても民の活力である程度の国力アップは図れますが、国の行く末を考えるのは政府の役目です。国民目線 を失った政府に国家の将来を委ねるのは不安が残ります。

サッカーの熱狂的なファンの動向、日本の政治に対する国民の姿勢を見ていると、国民の多数が同じ方向を向いているの が一体感が出て、何となく居心地が良いといった感じがあり、少数派の異論が多数派の声に飲み込まれる風潮があると 思います。このような風潮は最近の日本人の国民性にもよるものでしょうが残念なことです。

■ 2018年4月
平昌オリンピックでは日本選手の活躍で盛り上がりました。フィギュアスケートの羽生選手、スケート女子500mの小平選手、 スケート女子マススタートの髙木選手、女子団体パシュ―トの4個の金メダルを獲得しました。特に羽生選手はオリンピック 直前のケガから立ち直り、ぶっつけ本番の演技で見事金メダルを勝ち取りました。オリンピック独特の雰囲気の中で二大会 連続金メダルを絶対取る!という強い意志・精神力はたいしたものです。
スポーツにおけるメンタル面でのサポートは非常に重要な要素で特に一対一の競技、あるいは一人で行う競技はメンタルの 比重は非常に大きくメンタルコーチが必要な所以です。

私はマンションに住んでいますが、気になることがあります。集合住宅は同じ屋根の下に住む住民の集まりですので、 マンション内で顔を合わせれば挨拶を交わすのが自然のルールだと思うのですが、視線を合わそうともしないで通り過ぎる人 がいます。こちらから挨拶をしてもほとんど無視する人もいます。私は年配の部類に入る方なのですれ違う人も年下が多い のですが、年上の人に敬意を表して向こうから挨拶をするということは稀です。日本人は礼儀正しい、挨拶がきちんとできる という外国人の評価ですが、シャイで挨拶をするということが苦手なのか、欧米と異なり知らない者同士が気軽に挨拶を 交わすという習慣がないからなのか、違和感を覚えます。挨拶一つで周りの雰囲気が明るくなりますし、少なくも挨拶の言葉 をかけられたら気持ちよく大きな声で返すのが最低限のマナーだと思います。挨拶の大切さは会社においても同じです。 挨拶のきちっとできる元気のある会社は、成長している会社と言っても良いのではないでしょうか。
日本の国力の低下が最近目立って来ています。外交面においては韓国、北朝鮮の南北会談、中朝会談、米朝会談が 相次いで設定される中で日朝会談は日本からの申し出によって決まりましたが、付け足しのような形で日程さえ決まって いません。拉致問題を米朝会談で取り上げるようにお願いしていますが、トランプ政権は他国のことまで取り上げるつもりは ないでしょう。各国が米国と一定の距離を取るようになっても、依然として日本の米国頼みの外交は他国からは自主性が ないと冷めた目で見られているに違いありません。
国会においても議論されるのは森友・加計問題で本来の政策論議が 為されません。とはいっても安倍内閣の資質が問われている問題は徹底的に真実が明らかにされるべきです。これだけ国民 の不満が溜まれば、大規模な抗議行動に繋がり内閣を辞任に追い込むほどのパワーになり得るのですが、日本の場合は 小規模な抗議行動に終わり、多くの国民が行動を起こすところまでは行きません。自分たちの普段の生活に直接関わりが なければあまり関心がないという何故か他人事のような国民の当事者意識の希薄さを表しています。
国民の政治への参加意識の欠如も国力低下の一因になっているような気がします。

2年後の東京オリンピック・パラリンピックのインバウンド需要は大いに期待できます。
日本の良さ、おもてなしの心を大いにアピールして対外的な評価アップが国力のリカバリーに繋がることを期待します。

■ 2018年1月
2018年新年を迎えました。 毎年定める経営指針の今年は「有意味感に気づく」です。 「有意味感」とは、何かつらいこと、逆境に遭遇した時に、それに対し何らかの意味を見いだせる感覚のことです。これは ナチスの強制収容所生還者の健康追跡調査の結果、彼らは3つの特性(資質)を持っていたとされ、その内の一つが 「有意味感」であると言われています。あとの2つは「把握可能感」と「処理可能感」です。「把握可能感」とは大変な 状況になった時にその状況を分析し先を見通す力のこと、また「処理可能感」とは難しい状況だが、何とかなるのでは ないかという楽観的な気持ちを持つことができる感覚のことです。

「有意味感」とは起きたことに対し、これは必然であると感じいつか何かの役に立つと信ずる気持のことを言います。 多摩大学大学院教授で心理学者の田坂広志氏の言葉に「人生で起きたことすべてに深い意味がある」というものが あります。「不運な出来事」が何年か後に振り返った時に「深い意味がある出来事」であり、「有難い出来事」であった ということに気付くことが大切ではないでしょうか。「何が起きたか」それが人生を分けるのではなく「起きたことをどう解釈 するか、どう捉えるか」が人生を分けるのだと思います。

毎年の経営指針とは別に2011年に定めた当社経営方針に「会社として良いことよりも、人として正しいことを優先する」 があります。これは京セラ創業者稲盛和夫氏の「人間として正しいことを正しいままに貫く」この考えに共鳴して定めたもの です。昨年相次いだ大企業の不祥事も社員が会社のためを想い、コスト削減、納期優先を考え、顧客の顔が十分 見えていなかったのが原因と言えます。ものごとを判断する際の規準として「会社の儲けだけを考えていないか」、「人として 正しいことをやっているのか」という原点に立ち帰なければならないのではないでしょうか。しっかりとした倫理観を持つという ことは多くの企業人に求められていることです。

今上天皇の退位が平成31年4月30日に決まりました。日本の天皇制度は時の権力者が武力で勝ち取ったものでもなく、 また誰かの任命でもなく血統で受け継がれている世界で最も歴史のある皇室であり、世界で唯一「エンペラー」と呼ばれ ています。 初代の神武天皇から数えて今上天皇は延々と続く第125代目の天皇です。因みにエリザベス女王は38代目です。
「エンペラー」は世界的にも格式が高く、ローマ法王と同格かそれ以上、エリザベス女王より上とも言われています。 初代神武天皇の即位が紀元前660年ですから2680年近い歴史を誇る日本の象徴として、天皇家は大切にしなければ ならない存在と思います。
■ 2017年10月
テニスの錦織圭選手がケガにより全米オープンを欠場し、今年の残りの全試合を欠場すると発表しました。ファンとしては 非常に残念です。ジョコビッチ、バブリンカ、マレー選手などの一流選手も今年度の休養を発表しました。年間20近い トーナメントと60-70試合をこなす日程は欧米を転戦しながらですので、非常に過酷で肉体の管理、精神面での気持ち の維持は選手にとって大変重要な要素になっています。試合ごとの肉体的疲労、精神的プレッシャーは相当なもので ほとんどの選手にはメンタルトレーナーがつきます。ポイントごとに試合の流れが変わり、最後のポイントまで決してあきらめず にいかに流れを引き寄せるかの精神的な強さが求められます。これをシーズン中、維持し続けるのは大変なことでふと気持ち が緩むこともあると思います。錦織選手もケガの程度にしては欠場期間が長期にわたるので、リラクゼーションを兼ねた休養 をとりたいということかもしれせん。

北朝鮮の核・ミサイル問題についてキム総書記と米国トランプ大統領のやり取りを見ていると子供のケンカとしか思えません。 トランプ大統領のツィッターにいちいち反応し、最大級の脅しの言葉で相手を非難・挑発する、こういうことの繰り返しです。 北朝鮮も本気でグアム、ハワイ、米国本土にミサイルを撃ち込もうとは思っていません。とにかく北朝鮮は米国との対話を 望んでいるのではないかと思います。米国との話し合いの中で、北朝鮮を核保有国として認めてほしいこと、韓国から軍隊 を撤退させ、南北統一を実現したいと考えているとも言われています。安倍首相はトランプ大統領に追随姿勢を見せ、 自らの外交努力によって話し合いの仲介の労を取ろうとしません。北朝鮮が経済的締め付けによって内政面が不安定に なり、不満分子による政治的クーデターで内部崩壊するといったことはあり得ないことではありませんが、経済制裁によって 北朝鮮が国力をどう立て直すか注目されるところです。

10月22日に総選挙が行われます。最近の新聞の論調は希望の党の失速によりだいぶ自民党に追い風が吹いているよう です。安倍1強時代がまた来そうな予感で株価も与党の安定多数で政局が安定するのではということで強気の展開です。 希望の党の小池党首は選挙戦が終わるまでは都知事としての職務は当分の間は休止です。オリンピック・パラリンピック 問題、豊洲移転問題など多くの問題を抱えていながら国政に重点を置いている現状は小池さんを都知事に選んだ都民 への裏切りにも近い行為です。そして冷徹無比ともいうべき民進党員の希望の党への入党の選別、いかにも自信ありげな マスコミへの受け答えは冷たい鉄の女というイメージを与えて人気は落ち目です。希望の党は自公の対抗勢力とはなりえず、 リカバリは難しい状況のようです。今回の選挙戦の自民党スローガンは「この国を守り抜く」です。北朝鮮の脅威から国民 を守り抜く、また少子高齢化の問題から日本を守り抜くといったことでしょうか。耳障りは非常によく、国民の共感は得やすい と思いますが、問われるのは実行力です。政策上の3本の矢の統括・反省もなく、新三本の矢が発表されました。「一億 総活躍社会」も掛け声は立派ですが、国民一人ひとりが輝ける社会などそんなに簡単に実現するとも思えません。次から 次への繰り出されるスローガンに国民は冷めた目で見ているのかもしれません。

■ 2017年7月
東京オリンピック・パラリンピックまであと約3年になりました。今年の夏の暑さは格別ですが、日本の季節の一番暑い時期 になぜオリンピックを開催するのでしょうか? 1964年の東京オリンピックは10月10日が開会式でした。時期的に一番さわやか、かつ気候的に晴れ上がる確率が高い ということで、この季節が選ばれました。実際に当日は前日までの雨天がウソのように秋晴れの天気に変わり、日本には 神様がいる!という思いを強く持ったのを覚えています。

2020年オリンピックにはメインスタジアムには予算上、設計変更を余儀なくされ結局ドームの屋根がないスタジアムになり ました。客席は暑さ対策で色々と考えているようですが、選手たちが大変です。なるべく涼しい朝方、夕方を使うにしても 常に熱中症の心配をしなければなりません。日本の真夏の蒸し暑さは経験していない外国の方々はそれほど事態を 深刻に捉えていないのかもしれませんが、外出は控えるべきだとか、戸外の運動は避けたほうがよいとか盛んに報道される ニュースを見ていると、戸外で行う競技については様々な対策が望まれます。

そもそもなぜ真夏になぜオリンピックが開催されるかということについては米国のテレビ局が支払う莫大なテレビ放映権料と 言われています。米国では9月、10月になればNBA(バスケット)、NFL(フットボール)、NHL(アイスホッケー)が始まり、野球 もプレーオフに入る時期でこれらと重複しないように米国側からの要求があると言われています。放送時間帯についても 米国が活躍できる競技については彼らのゴールデンアワーに組まれるように配慮されており、オリンピックの大スポンサーで ある米国におもねる姿勢が見てとれます。

オリンピック予算も年々膨張し、世界各都市とも財政難から立候補地の辞退が相次いでいます。現在2024年にはパリ、 ロスアンゼルスが立候補していますが、落選した都市を2028年開催都市にするよう調整中と言われています。IOCも 今後立候補地が表れないことを危惧しているのかもしれません。

今、日本ではオリンピック前の観光客インバウンド需要を取り組むべく、官民一体となった取り組みを行っています。 2013年に訪日外国人客数が1,000万人を超え、2016年には2,400万人を超えました。2017年も増加しています。 訪日客がツイッター、フェースブックなどネットを通じて他国では味わえない日本文化との触れ合いなど自身の観光体験 の素晴らしさを瞬時に伝え、拡散する時代になってきているのが原因とも言われています。中国の爆買い需要は減って きてはいますが、中国人観光客の増加、アジア人の増加には目を見張るものがあります。欧米人の観光客は伸びては いるものもまだそれほどではありません。距離的な問題もありますが、まだ遠い極東の国というイメージがあるのかもしれ ません。彼らへの尚一層のキャンペーンが必要でしょう。

■ 2017年4月
残業の上限が決められました。労使間の36協定で月間45時間、年間360時間で決められていたものが、労使間で特別 条項があれば月間60時間、年間720時間が認められ、繁忙期に限り月100時間未満、6ヶ月の平均が80時間未満で あれば認められることになりました。過労死を未然に防止する目的で作られたものですが、そもそもなぜそこまで働かせ なければならないかという議論が抜け落ちているような気がします。ごく当たり前のように時間外労働が語られ、100時間 まで政府がお墨付きを与えたということは、政府が正規社員不足の実態を把握しながらも、それを認め過剰労働を是認 しているということになります。人手不足が最近言われていますが、非正規社員の正規社員化が進めばある程度解消 されると思われますし、そうなれば正規社員の働き過ぎの問題も解決できるのではないかと思います。過剰労働が問題 になる一方でプレミアムフライデーも始まり、働き方改革で残業をさせないマネジメントが求められてきています。

トランプ政権で新しい言葉が生まれました。「Alternative facts」と「Fake news」です。 「もう一つの真実」、「ウソのニュース」ということです。「Alternative fact」は大統領就任式の参加人数を実際はオバマ前 大統領より明らかに少ないのに、史上最大の人数と言ったことに対してのものです。ウソの言い換えです。「Fake news」は SNS、フェースブック上で選挙戦の最中にトランプ支持者によるトランプ大統領に有利なウソのニュースが拡散し、結果的に 大統領選勝利の一因になったと言われています。最近ではトランプ政権に否定的なニュースは「フェークニュース」としそれを 報道したメディアに対してトランプ大統領が批判的な態度を取っていることが問題視されています。もう一つ「Post truth」と いう言葉があります。敢えて訳せば「脱真実」ということになるでしょうか。イギリスの流行語大賞に選ばれた言葉ですが、 アメリカ大統領選でも使われたようです。真実よりも感情に訴える、聞いている方もそれで心地良ければ真実はどうでもよ いという意味に使われています。自分の好みの情報、共感を得る情報であればそれが真実であるかどうかは二の次だと いうことです。「Alternative news」、「Fake news」、「Post truth」いずれも「真実ではない」という意味ですが、ネット社会 において誰かの発信したニュースが瞬時に拡散し、真偽を確かめる間もなく一つの大きな流れになるというのは恐ろしいこと でもあります。規制の網がかかるようになるかもしれません。

安倍政権の右傾化が懸念されています。右傾化への重要な法案が閣議決定され、大臣が誰も異議を唱えないまま 法案化されることに懸念を禁じ得ません。長期政権が確実視される中、安定政権存続のためにはメディアも政権に不利 な情報発信は極力抑えて、政権維持を後押ししているように思えてなりません。国民の反対するデモも最近行われるよう になってきましたが、あまり大きな力にならず、メディアで取り上げられてそこで終わりといった感じで政権運営に影響を与える ところまでには全く行きません。真の民主主義国家からは遠い存在のような気がします。

■ 2017年1月
2017年の新年を迎えました。今年はトランプ米国新大統領誕生の年になります。 誰も予想していなかった政治経験のない実業家大統領の誕生です。トランプ氏はツィッターを多用し、記者の厳しい追及 に合う記者会見はあまり開きません。実業は家族に任せるといっても、自分のビジネスから全く切り離した政策運営が可能 か、利益相反の問題は完全には払拭できていません。ビジネスと国家運営は全く別物で、国家間の力関係が複雑に絡み 合った外交面でうまくかじ取りができるかどうか疑問です。

今年の我が社の経営指針は「共感力を磨く」です。 相手と話しているときに、自分とは考え方が違う、あるいはこの意見は相いれないと分かっていても一旦は頷いて受け 入れることが必要です。自分とは異なる意見も排除せず、このような考え方もあるのだと納得して受け止めることが、 人とのコミュニケーションにおいては大事だと思います。相手の気持ちに寄り添い話を聞く姿勢が、相手の信頼感を得て 話は拡がります。

人は誰も悩みを抱えていますし、対人関係の悩みを抱えている人が多くいると思います。過労死で問題になったD社も、 上司が一言ねぎらいの言葉をかけていれば、防げた事件ではないでしょうか。世界で自分一人だけであれば、人間関係で 思い悩むことは何もありませんが、そうはいきません。様々な場面で人の気持ちを思いやり、相手の立場を尊重すれば 争い事はなくなると思うのですが、エゴイズムが頭をもたげ人間同士の争いは消えることはありません。

現在も世界の何処かで戦争、紛争が起きています。キリスト教もイスラム教も同じ神であるのに教義の違いだけでなぜ いがみ合うのか、寛容の心で接すれば同じ人間として分かり合えるはずなのに、なぜそうならないのか。領土問題も 領有権の問題も歴史的な背景を紐解けば、ある程度明らかになるはずなのに、なぜ話し合いで解決できないのか、 それは為政者として自国民の支持を得るには常に強いリーダーを誇示していなければならないということが背景にある と思います。

イギリスのEU離脱もトランプ政権の誕生も国民投票の僅差で決まりました。半数がそうではない判断を下しています。 多数決は民主主義の根幹で否定はできませんが、それらの人々にとってはやり切れない想いでしょう。ナショナリズム から自国民優先のポピュリズムへの転換が諮られようとしていますが、日本の外交力が問われる年になりそうです。 我が国では少子化に備えた諸施策が中々見えません。人口減が既に始まっているにも関わらず、具体的な方策が打たれて いないままです。時間がかかる問題ゆえ早く手を打たねばなりません。国の将来ビジョンがほとんど語られずに、切羽 詰まった段階でその場その場での対応に終始する現政権に将来を委ねて良いのか疑問です。

■ 2016年10月
リオオリンピックが閉幕しました。日本勢は男子体操、女子レスリング、女子バトミントンダブルスの土壇場での大逆転金 メダルなど、大いに沸きました。アスリート達の鍛えられた強い精神力に驚嘆です。次の2020年はいよいよ東京です。 招致決定後に色々な問題が出てきていますが、肥大化する費用を抑えつつ、文化、技術、国民性など日本の魅力を アピールし、将来に繋がる財産を残してもらいたいと思います。 ただ今回少し違和感を覚えたのは、マスコミによる終了後のメダリストたちの取り上げ方が度を過ぎていて、残念ながら 実力を発揮できなかった選手との格差があまりにも大きいということです。タレント化しているメダリストのマスコミへの露出度 合いは異常とも言えるほどです。敗退した選手たちも選ばれてオリンピック代表になり、本番に備えて過酷な練習に 耐えてきたのはメダリストと同じです。敗者への配慮に欠け、勝者へおもねるメディア全般の姿勢が格差社会に繋がっている ような気がしてなりません。

スポーツの世界では勝者がいれば必ず敗者がおり、お互いに勝つつもりで必死に戦い、結果として一方に敗者が生まれる のは致し方ありませんが、絶対的な勝敗などがない社会において相対的価値観で勝ち組、負け組を括る傾向にあることは 望ましくはありません。価値観は多様であり、自分なりのしっかりとした価値観を軸に他者との比較は気に しないという強い気持ちを持っている人もいるでしょうが、実際には相対的価値を意識してしまうのは人の心情ではないかと 思います。

最近盛んに使われている「社会的弱者」という言葉にも少し抵抗感を覚えます。敢えて社会的弱者と定義づける必要は ありません。弱者と社会で定義づけられている人々の中にはそのように感じていない人も多数いるでしょうし、彼らにとっては 抵抗のある言葉ではないでしょうか。恐らくマスコミが社会的事象を浮き彫りにして表現する際に分かり易い用語という認識 で使用しているのかもしれませんが、一部の強者(対義語としてあまり使われていませんが)の支配意識を助長することになる のではないかとも思います。

高齢者も社会的弱者と一応定義されていますが、老いても益々盛んな自立している高齢者もたくさんいます。人間の寿命 の上限は120歳とも言われていますが、アンチエイジングで健康寿命を少しでも伸ばせば、充実の余生を送ることができます。 私も前期高齢者を超えましたが、無理して「若ぶる」(見ていて‘痛々しい’という感じの芸能人もいます)のではなく「年相応 に貫禄はあるが、言動共に若々しい」高齢者になりたいと願っています。

瞑想して過去を忘れ、未来を憂えることなく今に集中するという「マインドフルネス」という考え方が日本でも紹介され始めて います。これはもちろん会社経営に繋がることですが良質睡眠、ダイエット、ストレス軽減にもつながる考え方のようです。禅と 関係の深い「マインドフルネス」が健康寿命をさらに延ばすことになるかもしれません。

■ 2016年7月
日本の参議院選挙が終わり与党の圧勝に終わりました。18歳、19歳に選挙権が与えられてから最初の国政選挙で、 投票率は平均より10ポイントほど低い結果となりましたが、思ったより高い数字だと感じました。マスコミが18歳、19歳の 選挙権について大きく取り上げて関心が深まった、学校単位でもこの問題を取り上げた、また期日前投票がポピュラーに なり投票に行きやすくなったのがその背景にあると思います。

イギリスがEUから離脱しましたがそれを決めたのは国民の直接投票でした。国家の将来を大きく左右する重要事項を 国民投票に委ねた国(政府)の判断については賛否両論あると思いますが、国民一人一人がどれほど家族、友人と 議論し深慮を重ねた上で投票したのか疑問が残るところでしょう。この離脱が他のEU諸国の離脱の誘い水になるような 動きには今のところなっていませんが、国境なきグローバルな世界に進んできている時代にあっては世界各国に与える影響 は小さくありません。このイギリスをはじめ米国、中国など自国の利益を最優先で考える国益主義が台頭してきています。 イギリスに新首相が誕生し、米国新大統領が今秋決まり、フィリピンも新しい大統領が誕生しました。日本と外交関係が 深いこれらの国との付き合いが今後重要になってくると思われます。

私は毎日私鉄で通勤していますが、ホームで電車待ちしている通勤客、あるいは社内の通勤客の70-80%はスマホを覗い ているか、操作しています(私もスマホ利用者です)。 ゲームに興じる人、ラインをやり取りしている人、ニュースを見ている人等様々ですが、手にしたスマホを一心に覗きこんで いる光景は少し異様でもあります。隣同士が友人、夫婦であってもそこには会話がなく思い思いの興味でスマホを見ている 場面も良く見かけます。音声だけで端末を操作できるアプリも開発されスマホの利便性は世界的な開発競争も相まって どんどんエスカレートしてきています。必要な情報が瞬時に取り出せ、またその情報も共有できる日常生活に欠かせない ツール、あるいは身体の一部と感じる人も多いと思いますが、その利便性に対して何も感じなくなってくると、人間が機械 に操作される存在になってしまうのではないかと危惧しています。非常に便利で快適な生活に慣れてしまうと、スマホの情報 だけを信じて自ら調べる努力を怠り、相対で会話することが少なくなり、文字変換ばかりで言葉を忘れ、きちんとした文章 が書けなくなるなどといったマイナス面も考えていかなければなりません。

囲碁の世界トップ棋士を打ち破った人工知能は人間が創り出したものですが、人間より優秀なものになってしまうやり きれなさを感じます。記憶する容量は人間には限りがあり、膨大な量を処理できる人工頭脳には叶わないということでしょう。 人工知能は様々な分野で応用されてきています。人間の技術進歩への欲求には限りがなく、これからもどんどん機械化、 自動化が進み便利な世の中になって行くでしょうが、一方で機械にはない生身の人間が持つ暖かさが失われつつあることは 寂しく感じてしまいます。

■ 2016年4月
今年になって企業不祥事、政治家・スポーツ選手・タレントのスキャンダルが相次いでいます。それらの謝罪会見に対する メディアの対応、またその後のメディアのフォローの状況を見ていると対象人物・組織によって非常に差があるということを 感じます。 権力者あるいは社会的名声を得ている大物に対しては深堀せずに、通り一遍の取材で終わらせ、弱者に対しては 徹底的に叩き、制裁を加える傾向にあります。大きなスキャンダルの原因はもっと根深いところにあるはずなのにそこを 突くと大きな権力との戦いになり、今後を考えた上での経営判断で自制せざるを得ないということだと思います。権力に 歯向かうものを排除する巨大な力の前に萎縮してしまっているのが今のメディアの実態と感じています。京セラの稲盛和夫 さんは「会社として良いことよりも、人間として正しいことを優先する」ということを大きな決断をする時の拠り所としていた そうです。不祥事を起こす企業、権力者におもねるメディアの報道姿勢を見ていると倫理観が欠落していると言わざるを 得ません。また今の日本の政治は政局を重視した刹那的政策ばかりでそこには国民主権の観念がほとんど感じられません。

世界に目を向ければ最近「パナマ文書」の存在がクローズアップされています。ここには 世界の企業、政治家、富裕層に関わる税金逃れの実態が示されているとのことです。いずれ公表されれば、世界的な スキャンダルになる可能性があります。日本でも実名が公表されそうです。このようなことが続くと企業、国家に対する信認 が薄れて、それらに頼らない個人主義的な考えの人が増えてきてしまうのではないかと危惧せざるを得ません。政治に関心 を持たなくなり、ひいては国民主権を自ら放棄する事態にもなりかねません。

安倍内閣の金融政策によって作られた円安、株高は最近になって綻び始めてきています。世界的な景気減速に影響 されて大企業の業績にも陰りが出てきており、中小企業の経営も厳しさを増しています。そのような中で経営判断を 誤らない大事なことの一つは情報を正しく理解するということです。与えられる情報には時として世論をある方向へ誘導 させる明確な意図を感じさせるものがあります。また自分にとって都合の良い情報であるとその信憑性を疑うことなく、 信じ込んでしまうことが往々にしてあります。ネット検索でも検索するキーワードによって正反対の情報が出て来ることがあり、 気を付けなければいけません。与えられた情報は本当にそうなのか、なぜそうなのかを問いながら、自ら調べて疑問点を 解決し、納得して初めてその情報が活用できたと言えるのではないでしょうか。 ネット時代になって瞬時に情報が手に入り、便利になった一方で、誤った情報がブロックされることなく氾濫している社会 では、情報の受け手が冷静になって、自分の知識を駆使しながらその情報の信憑性、また情報の裏にあるものを読み 取る必要があると思います。

会社経営では情報を読み取る能力に加えてスポーツと同様に良い流れが来たと感じた時に それを呼び込む能力も重要ではないかと考えます。

■ 2016年1月
新しい年2016年を迎えました。年が明けてから中東諸国での宗教対立による紛争、北朝鮮の核実験、世界的な株価の 下落、原油・資源価格の下落など懸念されるニュースが多くなっていますが、今年はリオオリンピックの年です。終われば 2020年東京オリンピックへ開催へのカウントダウンが始まります。内需拡大への起爆剤とはならないまでも心理的な期待感 からの景気回復に繋がって欲しいと思います。

今年の経営指針は「目的論発想」です。目的論とはフランスの心理学者アドラーによって広められた考え方です。 「人間の行動には原因がある」という原因論に対し、「人間の行動には目的がある」というのが目的論です。ある原因に よって人は行動するのでなく、ある目的のために人は行動するというものです。ものごとの原因を特定できたとしても、 それだけでは解決にならないし、行動できるわけではありません。目的を明確にして達成したいという意欲を持ち、そして 行動することによって、解決策が導きやすくなるという考え方です。

ラグビーワールドカップでの日本代表の活躍は記憶に新しいところです。それまでの日本ラグビーは外国勢と比べ体力と パワーに劣り、守備力に難があると見られていましたが、遜色のない俊敏力と持久力という従来の強みを生かし、より 攻撃的なラグビーに切り替えることであれだけの成績を収めることができました。 弱い守備力という原因の解決策として 守備力の強化ではなく、強みをさらに生かした攻撃力のアップという対策(行動)に変えたその目的とするところはラグビーを 国民的人気スポーツに変えたい、そして2019年の日本開催のワールドカップを絶対成功させたいという強い思いと、強い 達成意欲が予想外の好成績に結び付いたと考えることができます。

中小企業を取り巻く事業環境は厳しいものがありますが、その原因を探るだけでは効果的な打開策は見出せません。 その原因となる事象が、変え難いものであれば我々は新たな目的を定め、その目的に向かって行動する必要があります。 強みを再認識して、それをより生かせる技術提案ができる自立型企業への確立が今後進むべき方向ではないかと思って います。 社会で起きている出来事は事実であり、それは受け入れざるを得ません。厳しい事業環境というマイナス要因の中で目標 を改めて設定し、そのために何をすべきかを考え、行動してゆくことが求められるのではないでしょうか。目的論は将来のある べき姿を想定し、そこから振り返っていま何をすべきかを考える手法「バックキャスティング」に通じるものです。

地球社会あるいは日本社会といった大きな社会単位では構造変化の要素が大きすぎ、将来あるべき姿から逆算しての 行動は難しい面はあります。 一方小さい社会単位の会社経営においては社会情勢の影響からもちろん免れることは できませんが、目的論発想はし易いのではないかと考えます。今、描く未来が実現した時に、かつて描いていた「懐かしい 未来」がここにある!と言えるようにしたいと思います。

■ 2015年10月
本年もノーベル医学生理学賞、ノーベル物理学賞に2名の日本人学者が受賞し、科学強国であることが改めて証明 されました。世界的な科学の進歩、技術革新の速さには目を見張るものがあります。世界的なITメーカーが電気自動車 を作るようになり、実業界では業種間の垣根がなくなり、また業種間の融合が顕著になっています。最近の例では大手 農機具メーカーが農機具需要に関係するコメ需要を開発するため米粉製造を主とした食品加工業を始めるとのニュース もありました。唐突に異業種分野へ参入するのでなく、自社の持っている技術、ネットワークを利用してのことです。事業の 多角化は会社基盤の強化のためには大手企業にとって避けられませんが、中小企業には、限られた経営資源の中で、 事業環境の変化にどう対応したら良いか考え、「会社は過去の人たちからの贈り物、未来の人たちからの預かりもの」として 将来に繋いでいく義務を果たしていかねばなりません。

起きるものごとはほとんどに必然性があるということを実感しています。かつて、「想定外」という言葉が流行語となりましたが、 想定外などということはそれほどないのではないかと思っています。自然災害、金融ショック、世界テロ、全てに誘発する 因子があり、見通しの甘さ、判断の甘さや、まず起こりえないものとしてその対策を取らないことで発生するケースも多いと 考えます。変化の兆候を察知してもそれが事実として顕在化しないと中々、行動に起こせないというのも真理です。事前 に対策を取るということは時としてコストがかかり、また方針・考え方の変更を伴うため、容易にできるものではありません。 また決断をためらわせる要因として確率があります。確率は過去のものであり、これまでの確率が非常に低いからといって 将来的にもまず起きないという保証はありません。現実的にはできるだけの備えを心掛け、起きてしまった後の対処を的確 に行うことが求められます。ところでワールドカップラグビーの日本代表の活躍も決して偶然ではなく必然性があったと言え ます。努力は成功を保証しないが、成長は保証すると言われています。激しい練習に耐え、チームとしての一体感がここ まで成長させたのだと思います。

社会生活を営んでいく上で様々な場面で決断が求められます。結果として誤ったとしてもそれは外因によるものではなく、 全てそれは内因、すなわち原因はすべて自分自身の中にあるということを冷静に考えなければなりません。決断を下したのは 自分自身であり、外部環境にその原因を求めてはいけません。また誤った判断は修正されなければなりません。確固たる 信念・考えに基づいて決断を下した以上、それを修正することは信念を曲げること、また自己否定と捉え、心に迷いが生じて 中々修正されないことがありますが、信念がぶれる、心が迷うことは自然なことで、迷いながらも冷静で正直な修正・判断が 必要です。

日本の現政権は迷わない、決断する政治を標榜しています。決められる政治に価値観を置き、先に結論ありきで形だけの 議論に終始しています。国の将来に関係する大事な政策決定に迷うことはないのでしょうか?実施された政策のレビュー、 評価は確実に行い、修正すべきは修正するということは政治家の最低限の義務と考えます。

■ 2015年7月
最近、政治家、著名人などの失言、「不適切」発言を耳にする機会が増えました。明らかに言ってはいけない発言あるいは してはいけない行為を「不適切」という言葉で謝罪をし、大きな問題とならずに決着を見ることがごく当たり前になっています。 「不適切」を「ふさわしくない」と同義語と捉えれば、非常に緩い言葉であり、「不適切な表現によって世間をお騒がせした」 とか「不適切な表現でご迷惑をお掛けした」という謝罪でいとも簡単に許されているのは腹立たしく思います。しかも問題 なのは、本人は周りに指摘されるまで失言に気が付かず、時間を経て不本意ながら謝罪するケースが非常に多いということです。

特に政治家の場合は、公の立場を考えた発言が求められます。また発する言葉の重さを自覚しなければなりません。 発言が余りにも軽く、立場をわきまえずに、居酒屋での私的会話のごとく本音を平気で口走り、あとで「真意は…であった。 誤解を与えたのであればお詫びする…。」と、全くこじつけとしかならないような言い訳をして、自己保身のため渋々謝罪 しているのが、はっきり見て取れます。所属政党を離脱してでも自分の主張を言い続ける覚悟があれば、その強い信念 には敬服するのですが…。

最近大手電機メーカーの会計処理で「不適切な会計」が問題になりましたが、粉飾決算でも「不適切な会計」で すまされてしまうケースがあります。粉飾は故意であって、投資家を欺く犯罪であり、「不適切な会計で投資家の皆様に ご迷惑をお掛けした…」という謝罪で決着する問題ではありません。

最近バラエティー番組でタレント化した弁護士、医者、教師、政治家、学者などの有識者、専門家を多く見かけます。 昔はタレントが政治家になりましたが、今は政治家がタレントになっています。政治家がテレビ出演する理由はより身近な 存在であることをアピールしたいとか、タレント性があることを誇示したい、ということだと思いますが、メディアを広報活動の 手段として利用し、活動費を支出するのでなく逆にギャラという報酬を得ていることはそれこそ「不適切」な行動であり、 もっと本業に力を入れろ…と言いたくなります。メディアもタレント性のある著名人であれば番組視聴率が稼げるという メリットがあり、彼らとは相思相愛といった関係でしょう。淡々と真面目に説明する人は面白味がないということで敬遠され、 笑いを取り、また舌鋒鋭い毒舌的な物言いをする人が歓迎される傾向にあります。出演者同士で口論にでもなれば、 話題になってさらに番組視聴率が上がるということにもなります。教養番組でもバラエティー化かつ同一パターン化して、 視聴者に真面目に問いかけ、考えさせる良心的な番組が民放では少なくなっています。

国会での野次、講演会での有識者の発言、テレビ番組での局の意向もあると思われる受け狙いの発言など、自身の 立場をわきまえない軽々な発言が氾濫してきているのは残念なことです。言葉の重みを自覚し、言い直しはきかないぐらい の覚悟を持った発言で、社会に影響力を与えることのできる人が、真の知識人と言えるのではないでしょうか。

■ 2015年4月
桜の季節も終わり、同時に新しい年度が始まりました。かつて桜は入学式で新入生を迎える、春爛漫に咲き誇る晴やかな 花というイメージがありましたが、最近は開花が早くなり、卒業式で卒業生を送り出す別れのイメージの少し寂しい花に 変わった印象があります。

受験、卒業、入学、入社シーズンが終わりました。周りの受験生がみんな自分より頭が良さそうに見える、また新入社員 の仲間が自分より優秀に見えるというようなことを経験された方は多いのではないでしょうか。企業においても同業他社が 色々な面で自社より秀でている、と羨むこともあると思います。大事なことは、見ているのは表面的なもの、あるいはほんの 一部であって、実質は見えているものだけでは分からないということです。羨む相手が実は様々な問題を抱えているという ようなこともあります。羨む前に自分(自社)は他人(他社)にはないこんなに素晴らしいものがあり、自分を必要としている 人が確実にいるという気持ちを強く持つことで、自信と勇気が湧いてくるのではないでしょうか。 だいぶ前ですが、「自分が必要だ、と言ってくれる人が世界に一人でもいてくれたら私は生きてゆける」というACジャパンの 公共広告がありました。疎外感を味わい、自らの存在に疑問を感じている人に対して、人間は絶対孤独ではない、必要 としている人は必ずいるのだというメッセージを伝えていると理解しています。自分では気づかない長所が他人に見えている ことがありますし、自分が思っている以上に人に評価され、頼りにされているということが往々にしてあるのではないでしょうか。

ある報道番組のレギュラーコメンテーターとして、政府に批判的な意見を述べていた元経産官僚が官邸とテレビ局の圧力で 降板せざるを得なくなり、マホトマ・ガンジーの「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。 そうしたことをするのは世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである。」という言葉を引用 し、番組内で率直な気持ちを吐露しました。私はこのガンジーの言葉を初めて知りましたが、様々な組織であてはまる言葉 だと思います。会社組織では上司への進言・意見は中々通らないということがあります。組織の一員として最終的に上司 あるいは会社方針に従うにしても、何を言っても無駄だと思い上司の言うことにただ従う、従属人間にならないようにするため には自分の意見を持ち続け、会社によって自分が変えられないようにすることが必要と思います。 周りの意見や行動に左右され、疑問を感ずることなく思考停止の状態で大きな流れに無意識に身を委ね、ただ流される ということの危うさを感じている人が、今の日本にどれだけいるか疑問ですし、大手メディアも感じてはいるでしょうが思い 切った発信をしていません。先のコメンテーターの意見が異端とされ、メディアから排除されることをごく普通のことのように 受け止めている今の社会はおかしいと言わざるを得ません。

自分を正しく理解して、決して自己を見失わない、そしてそれに同調し、評価する人は必ずいると信ずることで、自分自身 あるいは社会全体が明るく見えてくるのではないでしょうか。

■ 2015年1月
新しい年2015年を迎えました。戦後社会70年となり、日本だけでなく世界に目を向けても「第4次産業革命」などという 言葉も出始め、経済的にあるいは政治的にも大きく変動する年になりそうな気がします。

今年の経営指針は「陽転思考」です。自分の思った通りに物事が進むなどということは稀で、つらいことも嫌なことにも日々 遭遇します。しかしその中に良いことは必ずあるはずで、マイナス面は受け入れた上で、決してネガティブにはならずに良い 面を探し当て、前向きな気持ちに持って行くという考え方です。悪いこともすべて肯定してしまういわゆるポジティブシンキング あるいはプラス思考とは考え方が異なり、人の素直な感情に沿ったものでより受け入れやすいということが言えると思います。 例えば楽しみにしていた海外旅行がインフルエンザにかかって直前で中止せざるを得なくなり、多額のキャンセル料が発生 したことは非常に残念なことですが、予定していた期間中の自由な時間で本を読み、のんびりとできて肉体的にも精神的 にもリフレッシュできたとの陽転思考で捉えればこれで良かったと思えるようになれます。仕事においても失敗はつきものです。 うな垂れるだけでなくその失敗で得たものが何かあるはずで、これを次の仕事に活かすことが必要です。現在ある姿はすべて 自身が決定してきたことであり、過去は取り戻せないと割り切れば、新しい道を切り開く気持ちが沸々と湧いてくるのでは ないでしょうか。

昨年は大幅な金融緩和政策で120円を超える円安に一時はなりましたが、円安は定着しそうです。現在の金融政策が 実態経済に好影響を与えるという実感は全くありません。お金を増やしてもそれは市場には出ず、限られた金融の世界で 使われているだけで、実業の世界で使われる生きたお金ではありません。円安でも輸出は増えず、株価の高値維持には 寄与しているかもしれませんが、この恩恵に預かるのは限られた企業と数少ない一般投資家です。食料自給率が低い 日本は、円安による食品原材料の値上がりで、新年より日常食料品の値上げラッシュです。円安のメリット、デメリット それぞれありますが、今の日本にはメリットがあまり感じられません。観光立国キャンペーンの流れに乗って外国人旅行客 が来やすくなったことぐらいでしょうか。通貨価値は国力を反映します。日本のGDPも円安で相当目減りしました。行き 過ぎた円高は好ましいものではありませんが、現在の円安は極端な金融政策によってもたらされたものであり、その出口 政策を適切な時期に打たなければ、大きな問題になりかねません。今の日本は不満があってもそれが大きな不安に結び つくということはなく、大規模な国民運動に繋がることはまずありません。少しずつの不便は何とかやり繰りする辛抱強い 国民性が背景に在ると言えます。

これからの時代を先読みしての会社経営というものは確かに理想ではありますが、なかなかできるものではありません。 現実を受け入れ、その上で変動激しい社会環境の中で何ができるかを考えていきたいと思います。

■ 2014年10月
テニスファンとして全米オープン準優勝、そしてそれに続く2大会に連続優勝した日本の錦織選手の活躍を心から賞賛したい と思います。テニスは本当に精神的にタフでなければなりません。1ポイント1ポイントで局面が変わり、攻めどころ、守りどころ を心得て追い込まれた際にどれだけ冷静になれるか、特にテニスは孤独なスポーツで試合中はコーチとの接触は禁じられて います。従い自分自身で気持ちをコントロールしなければなりません。見ている方も疲れるスポーツですが、このような醍醐味 がありながら、グランドスラムと言われている世界の四大大会でも地上波での放送はウィンブルドンテニスのNHKを除いては 他にありません。試合時間が全く読めないからです。5セットマッチ(3セット先取) では早ければ1時間半、長いと5時間近く かかり、通常の放送時間帯では枠が取りにくいという事情があります。錦織選手に続き世界に通用する選手を輩出する ためにはテレビ地上波放送を増やしてテニスの魅力を伝え、テニス人口を増やして才能ある選手を発掘するのが必要だと 感じています。

スポーツ中継はWOWOWでの全米オープンテニスのように本来は生中継で試合終了まで放送すべきです。CMがほとんど ないBS有料放送だからこそできることなのでしょうが、今回の錦織選手のように世界レベルのスター選手が出てくれば 地上波放送もスポンサーが付くようになり、少し無理をしてでも放映することで競技を目指す若者が増えて第二、第三の 錦織選手が出てくるということになります。テニスに限らずスポーツの魅力を伝え、競技の面白さを伝えるのはメディアの一つ の役目だと思います。ミーハー的な一時的ファンを増やすだけではスポーツの振興にはなりません。その意味で中継における 解説者の役割も重要です。その競技の面白さ、魅力、奥深さ、駆け引きなどを分かり易く伝えるのが真の解説者ですが、 最近は応援団化している解説者が多く残念です。

メディアは社会に大きな影響力を持っています。ネットが情報源という人も多くいますが、一つの事象を理解して深く考えて みるという点で情報力に秀でているのは新聞だと思います。ただ数字も含めて事実を伝えてはいても、見出しの書き方、 数字の出し方、論調などが新聞社によって異なり、その記事を通してその新聞社の考え方が読み取れます。事実は もちろん伝えてはいるがそれが「真実」であるかどうかは読者が判断することになります。そのためには、教養・見識が必要 です。表面的な情報で世の中の情勢を知ったつもりでも人に対してきちんと説明ができ、質問にも答えられなければそれは 知識ではなく単なる物知りに過ぎません。一つの事実を知ることにより、新たな疑問点が出てきて、自分がいかにものごとを 知らないかという「無知の知」を自覚することになり、学ぶ気持ちが一層強くなります。このようにして少しずつ教養を深めて ゆき、伝えられた事実の背景にあるもの、またこれからの社会に及ぼす影響まで考え及ぶことができることが理想です。一人 一人が社会に参画している意識を強く持って、社会事象に対して敏感になり、様々なところで意見を発信し、行動して ゆくことでより成熟した社会、民主的な社会を形作っていけるのではないかと考えます。

■ 2014年7月
ワールドカップサッカーの日本代表チームは残念ながらグループリーグ敗退となり、サッカー先進国との力の差を思い知らされる大会となってしまいました。組み合わせが決まったあたりから勝敗を予想し、グループリーグ突破は行ける!とか、優勝を狙う!などの選手のコメントを紹介し、テレビで特集 を組むなどしてメディア全体で前景気を煽りました。惨敗ともいうべき結果にも関わらず、敗北後の渋谷での喧騒、帰国後 の空港での歓迎は目の肥えた外国のサポーターには信じられない光景として映ったと思われます。各テレビ局は高視聴率 が期待できる4年に一度の世界最大のスポーツイベント本番の前後を含めて一つのドラマとして捉えて視聴者に期待を 抱かせるシナリオを考え、番組を作り上げたような感じがします。ワールドカップサッカーは純粋なスポーツというより日本では イベント化してしまっており、代表選手もタレント化している印象を受けます。視聴者もそのような目で見ています。高視聴率 を上げるにはメディアでの日本代表チームへの批判はご法度のような雰囲気が流れていたことは事実であり、常に外からの厳しい目に晒されている環境になければ、スポーツの世界では勝ち残れないということだと思います。 とにかく勝負は勝たなければいけません。日本的な、綺麗あるいは上品なサッカーを目指すのも否定はしませんが、ボール 支配率がわずか20%でも1-0で勝てば良いのです。日本代表の新監督には厳しく勝つサッカーを日本に植え付けて欲しいと 思います。

4月からの消費増税は当社では事業関係者との間では特に問題はありませんでしたが、末端消費者の立場で感じたことが あります。4月以降消費者への価格表示は税込、税抜の併記が認められましたが、自宅近くのスーパーでは、それまで税込 金額のみの表示だったものが4月以降は値札には大きな字で税込ではなく税抜金額が書かれ(ただし税抜とは表示されて いない)、その下に括弧書きで本当に目立たない小さな字で「税込参考価格……円」と書かれていました。見た瞬間は 「えっ、値下げ!」と思ったほどです。消費者は物の値段にどれだけの税金が含まれているかなどはあまり関心がありません。 最大の関心事である幾ら払うかを「参考価格」と表示すること自体、値上げの実態を少しでも覆い隠そうとする供給者 目線を感じますし、消費者に寄り添って何とか理解を得ようとする努力が全く見えません。一方で税込価格を大きく表示 して、税抜価格を小さく表示しているスーパーもあります。スーパーの経営姿勢がこのようなところに表れています。

ワールドカップサッカー放送も、消費増税後のスーパーでの末端価格表示方法についてもそうですが、目先の利益に 追われ、企業として本来あるべき姿は何かという視点が欠けているように思います。企業は信頼され、信用され、そして尊敬 されなければなりません。そうすることによって決して逃げない顧客を獲得することができます。鋭い眼力を持った厳しい 視聴者、顧客、消費者は少なくありません。姑息な手段は見抜かれます。尊敬される会社は周囲から見放されることなく、 永続するものだと信じています。

■ 2014年4月
当社にとっての新年度4月が始まりました。多くの会社では新入社員が入社してくる月であり、また来年度入社の採用試験 が佳境に入っている時期です。 色々と周囲から聞いていますが大学生の就職活動は、本当に大変なようです。ほとんどの会社がエントリーシート(以下ES) から始まりますが、ESをパスして面接に行くまでが大変なようです。中には会社説明会もESをパスしないと受けられないと いった会社もあります。人気企業はESの段階で応募者数万人とも言われており、採用されるには本当に狭き門で、 そのため一人数十社応募などというのも決して珍しくありません。その結果どの会社へも応募者が殺到するという悪循環 です。とにかく一次面接までたどりつくのが大変で、次から次へと不採用通知を受けると、自信喪失、自己否定にも 繋がりかねません。会社の採用担当者のESをチェックする時間は当然制限され、その中で合否を判定するにはどこを ポイントに見るのか、ESに合格するためにはどうしたら良いかなどのハウツー本が出ているほどです。応募した本人は何が 悪くて不合格になったか分からず不安を抱えながら、自信を失った状態で次を受けるという繰り返しです。業種を絞り込む ことなく、少しでも興味あれば片端から受けざるを得ません。このような就活時の厳しさの経験が社会人生活で大いに 役立つという意見がありますが、本命とかけ離れた一社に採用されても自分がほとんどの会社で評価されなかったという 自己喪失感が社会人になってから引きずらないとも限りません。ES書き方でふるい落とされるネット時代を象徴する今の 採用方法は、本当に会社が必要としている学生を見落としている可能性が十分あり、疑問に感じざるを得ません。

今の就活の問題点(私が感じている)はメディアでまだ取り上げられることはありません。 最近のメディアを見て感じるのは音楽家、科学者の例を引用するまでもなく時の人になれば徹底的に褒めあげ、問題が 出てくると大事件に仕立て上げて、一転これでもかというほど糾弾して、天国から地獄へ追い落とすという傾向が顕著です。 如何に週刊誌的な読者の興味を引き、好奇心を満たすかということに専心している感じがします。我々が本当に知りたい 点、なぜこのようなことが起きたのかという核心部分が明らかに抜け落ちています。

「不適切な行動」、「不適切な処理」、「不適切な表現」、「単純な記載上のミス」…など、新聞紙上で賑わせる社会事件 がこのような表現であまり大事にならずに、そのまま幕引きといったケースが多く見受けられます。「不適切」という言葉は 本来「適切でない、配慮を欠いた」といった意味ですが、明らかな恣意的な違法行為についてもそのような説明で罪から 逃れるケースが多く見られます。また「不適切な表現で読者、視聴者の誤解を招いた点はお詫びします」と社会的責任の ある立場の人が謝罪会見を開くことありますが、これも明らかに誤解ではなく、読者、視聴者のせいにするな!と言いたい 気持ちです。

どう見ても問題がある、道理にかなっていないことが何も手が付けられず、あるいは表面的な修正で終わってしまうことが 数多くあると感じます。曖昧さを良しとして、問題を大きくしない日本的な考え方は改めるべきではないでしょうか。

■ 2014年1月
新しい年、2014年を迎えました。今年は冬季オリンピックとサッカーワールドカップという大きなスポーツイベント2つが開催 されます。一方で4月の消費税増税後の国内景気動向がどうなるか、また大きく変化しつつある世界各国のパワーバランス がどうなるのか、注視しなければならない一年になりそうです。

今年の会社の経営指針は「今に感謝」です。永年続く会社経営には景気の悪化、予測し難い急な事業環境の悪化に 遭遇することは避けて通れません。当社事業環境は世界的資源不況の影響で取扱い主力部品である大型鉱山機械 の世界的需要が減退し、決して良くはありません。このような時にはこれを憂い、不安視するのではなく、現在の積み重ね が未来であれば、今ある目の前の仕事に集中することによって未来へ繋がり、良い結果がもたらされるという信念を持つこと が大切と考えています。創業以来、多くの方々のご助力を得ながら社業が継続し今日に至っている、このことへの感謝は 決して忘れてはならないという思いが今年の経営指針で、その気持ちが明るい未来への懸け橋になると考えています。

将来の市場を予測し、長期事業計画を立て、事業環境の変化によって戦略、戦術の見直しを行うのが企業経営の 在り方なのだと思いますが、投入資源が限られている中小企業には、なかなか難しいものがあります。中小企業が生き 抜くためには、これだけは他社には負けないというものを作り上げ、確かな技術に裏付けされ、勝てる場所で勝負している という自信を持ち続けることが大切なのだと考えています。

「誠実は運を支配する」これはラクビーの元日本代表監督で、大手都市銀行の役員を務めた宿澤広朗氏の言葉ですが、 この「誠実」に加えて「謙虚」も当社経営の拠り所としている言葉です。この二つの言葉には裏表がなく、素の人間性を 表している言葉だと思います。たとえば「純粋」「素直」「実直」「堅実」「寛容」…これらは褒め言葉として捉えられますが、 その裏の意味で(ひねくれた見方をされると)必ずしも良い意味で受け取られないこともあります。「誠実」、「謙虚」を拠り所に良 い結果をもたらす運を自ら呼び込んで勝ちに行く、最低限でも負けない経営を心掛けていきたいと思っています。

謙虚さを表現する言葉として「…させていただきます。」…というものがありますが、最近耳障りなほど、様々な場面、会話 の中で不必要に使われているように感じています。著名人、知識人、政治家などは傲慢、高圧的、上から目線という悪い イメージを持たれないことを意図して使っていると思うのですが不自然なくらいに下手に出ている感じは決して良い印象を 与えません。周りが皆、使っているから、そうしないとイメージダウンになると考えるのかもしれません。謙虚さを表現する感じの 良い言葉ですが、相応しい場面で使って初めて相手に良い印象を与え、意味を持ってくる表現です。おかしな日本語の 使われ方、また言葉の流行廃りなどは本来あってはいけないものです。言葉の本来持つ意味を理解し、正しく使い、そして 言葉通りの行動が伴う、これが大切なことだと思います。

■ 2013年10月
2020年オリンピックの東京開催が決定して1カ月以上が経ち、喧騒はだいぶ収まってきました。私は1964年の東京オリンピック の時は中学生で陸上競技を見に行った記憶があります。東京に溢れる様々な肌の色の外国人を初めて目の前で見たとき の驚きは今でも強く残っています。2020年の東京オリンピック開催について問題を投げかけるいくつかの意見がありますが、 7年後の東京、また7年後の日本が見たいという時間軸が定まった明確な目標と期待感を多くの国民が持つことができた点 で喜ぶべき、素晴らしい結果と捉えて良いのではないでしょうか。これまで漠然としか考えていなかった将来の自分自身、 また首都東京、日本について7年後の2020年にはどう変わっているのかということを、強く意識する機会になったのではないかと思います。

少しずつの変化に自分では気が付かずに、指摘されて初めて気が付くということが往々にしてあります。ゴルフ、テニスのような 個人プロスポーツの一流選手はコーチが必ず付いています。たとえばゴルフの場合はわずかなスウィングのずれが大きなミスを 呼びます。一流選手であればスウィングは完成されたものだからズレなど起きないし、調子が悪くてもすぐに修正できるなどと 考えがちです。しかし一流選手でもそのようなことは起きますし、微妙なスウィングのズレに気が付かずに大きなスランプに陥る ことがあります。スウィングを冷静に外からチェックできるコーチの存在は重要です。またメンタル面での強さを鍛えるメンタル コーチも重要な存在です。テニスにおいてはワンポイント、ワンポイントごとに形勢が変わります。追い込まれたときに「まだ いける!」あるいは「もうだめかも…」どちらで考えるかによってプレーにも影響してきます。何回ものマッチポイントを凌いで からの大逆転勝利というのも良くあります。知らないうちに弱気になっている選手を奮い立たせ、勝利するイメージを描かせる メンタルコーチの存在も大きなものです。

言われて初めて気が付くということは社会生活、家庭生活においても良くあります。性格、思想・考え方、気の持ちようが 周囲環境の変化とか年齢を重ねることによって変わり得るし、それを自覚しないことが人間関係の障害になっているかも しれません。プロスポーツではコーチと選手は職業上の契約関係にありコーチはコーチングが仕事なのでそこに遠慮などは ありません。しかし社会生活、家庭生活においてコーチはもちろん存在しません。少しの気持ちの変化があっても本人は なかなか気が付きません。気が付かないまま相手に不快な思いをさせたり、あるいは知らず知らずに自分自身が弱気に なったりしても、それを指摘してくれる人がいなければそれを改めることもありません。それを遠慮なく言ってくれる人が身近に 存在すれば、その人が利害関係のない人生のコーチと言えるのではないでしょうか。

人に頼らずに自分に自信を持って強く生きてゆくという一見カッコいい生き方でも人間は所詮、人との関わりあいの中で 生きてゆくのであり、アドバイスを素直に聞き入れることで人間として厚みが増し、潤滑な人間関係が形成されていくのでは ないかと思います。

■ 2013年7月
今年も半分が過ぎました。本当に時の経つのは早いというのが実感です。「時は目に見えない、でも確実に時は刻まれて 年を重ね、人も、企業も、社会も、そして地球も変化をしてゆく。」そんな感情を抱くようになりました。人には寿命があります が、企業、社会、地球は年を重ねても寿命はありません。計画も予測もあまり意味のないくらいに世の中の変化が激しく なってきていますが、これに対応し企業は生き残っていかなければなりません。

今月の参議院選挙が公示され、選挙関連のニュースが多くなってきています。メディアによる情報は一方通行です。 与えられた情報が正しいのかどうかは視聴者、読者の判断です。事実を伝えるのがメディアの役目ですが、特にテレビの 場合は基本的な部分の解説が省かれ、表面的な事実しか伝えられないことが多いように感じます。限られた時間の中で 多くのニュースを伝えなければならないという制約があるので止むを得ないとは思いますが、このニュースのポイントはどこで 視聴者はこのニュースのどの部分に関心を持っているかという視点で簡単な解説を加える機会があって良いのではないかと 思います。情報から得られた知識をただ事実として知っているだけではその知識は身についたものではなくこれを生かすことは できません。その情報からの広がりがなく、従って関心も湧きません。興味を持ちなぜ、なぜを繰り返し問うことでその知識を 自分のものとし、生かされた知識としてまた人に伝えることができます。情報は正しく理解して、初めて正しい判断ができると 考えています。

情報を与えるメディアと情報を受け取る視聴者との知識度、理解度のギャップ、すなわち与える側は下調べをして基本的 なことは理解した上で情報を提供していますが、提供を受ける側は受け身で基本的なところもあまり理解しないまま事実 を受け止めているというギャップがあります。以前テレビ番組の「週刊こどもニュース」が大人に人気だったのは、一つ一つの ニュースを子供に分かるように易しく、丁寧に説明していたからです。その時のキャスターだった人気ジャーナリストが現在 情報特番で人気を保っているのは、一つの情報についてその歴史的背景にあるもの、関連する情報、今後の社会にどの ように影響してゆくかなど多角的に深く、しかし分かり易く掘り下げているからだと思います。

重要な政策決定を「国民的議論を踏まえて決める」と閣僚が言っているのを耳にすることがあります。そもそも国民的議論 って何?という疑問はありますが、TPP導入、消費税増税、憲法改正にしても国民的議論が為されたとは思いませんし、 少なくとも国民的議論実施の方法論が論議されたことはありません。方法論はともかく国民的議論を現実のものとし、 沸騰させるにはその政策の意義を正しく、深く理解した上で国民一人一人が他人ごとではなく自分自身に関係する問題 として関心を持たなければなりません。そのためにメディアと政治家は、国民に正しく理解してもらい、国民的議論に昇華 するまでの説明責任を負っています。政治に期待しないあるいは無関心派が多いとされる日本の国民性を変えるためには 若いころから社会の出来事に関心を持たせる教育と政治家及びメディアの資質向上が求められているのではないでしょうか。

■ 2013年4月
新しい事業年度を迎えました。大型鉱山機械部品の受注増に備え建設中の第二工場(本社・工場の隣接地)が 2月末に完成致しました。近々設備稼働できる予定です。心を新たに尚一層皆様のご期待に添えますよう社員一同 精進して参りたいと思っております。

自民党安倍政権発足後、その政策期待感から日経平均株価は約40%上昇し、円安と金余り現象期待から過去の バブル期のような投資熱が再来する気配です。2%のインフレターゲットを世は歓迎ムードですが、金融政策で円安と インフレを誘導して良いのかという疑問を感じています。インフレは本来モノの需要が旺盛で供給が追い付かず価格が 上昇し、企業が業績好調になって設備投資を増やし、従業員給与が増えて消費が活発になり……といった循環に なるべきものです。今回の政策のように単に市中への通貨供給量を増やしても、その行き場がなければお金は滞留 するか、金融投資に振り向けられるだけで実体経済の中でのお金の還流はあまりありません。既に原材料を輸入に 依存している食料品、家具、日常雑貨などは価格が上昇し始めています。来年4月の消費増税を控えて企業側も あまり安易な値上げには走れません。消費者も給料が上がらなければ購買意欲は高まりません。我々製造業者も 円安で値上げされた輸入原材料価格を製品価格に反映できる経済環境とは決して思えません。本当に良い政策 なのか疑問は残ります。「決める政治」が評価され、国の大事なこと、国民生活に重要なことがあまりにも拙速に 決められる傾向にあります。そしてその決定が後々に検証されずに誰も責任を取らないで反省もないというのが、 過去の事実です。一個人の私生活や、社会生活ではとにかくやってしまえば何とかなるし、何とかできるといったことは ありますが、国家が下す政策決定はそれで良いはずはありません。

人の心は流されやすく、周りの言動、行動に同調して同じ流れに乗り易い傾向にあります。同じことをしていればとりあえず 安心、自分だけが乗り遅れたくない、違った行動で結果が悪かったら大きな後悔の念、挫折感を味わうことになるといった 気持ちがその背景にあります。期待感を持つとそれを否定するような意見、情報は耳に入りません。流れに合った情報は それが増幅された形で入ってきます。景気の良い時には悪いニュースには耳を塞いで良いニュースは積極的に取り入れよう とし、一方で景気の悪い時には楽観的な意見を軽視する傾向があります。しかしながら今起きている事象を大きな流れ から外れて冷静な目で観察し自分自身の経験知、価値観で決断をすることが、重要ではないかと思います。

「順境、逆境は外に理由があるのではなく、自分の心がそれを生み出している」これは江戸後期の倫理書「言志録」に ある言葉です。経済環境に左右されない堅実な経営は理想です。そのために順境の時は順境と捉えず、浮かれること なく冷静さを失わない機会と考え、また逆境の時は逆境と捉えずに試練の場であり楽しい未来図を描く機会と考えれば 順境とか逆境とかはっきりと分ける必要もありません。心の持ちようで見える景色は違ってきます。後で振り返ってみれば これらも小さな波だったと気付くことも往々にしてあります。大勢に惑わされずに常に冷静な心を持ち続けることが必要 なのではないでしょうか。

■ 2013年1月
新しい年、2013年を迎えました。昨年末に自民党新政権が誕生し、いやがうえにも期待感が膨らんでいますが、 真に日本復活元年となるよう願っています。

毎年定めている当社の経営指針、今年は「正解は自分で作る」です。
人は人生の中で大きな選択、決断をしなければならない時がいくつかあります。進学、就職、結婚など人生の節目での 選択に加えて、社会人生活においてもさまざまな決断の場が与えられます。そして迷う時もあります。その時の選択が 正しかったどうかは結局最後までわかりません。その選択をせずに別の選択をした場合にどうなったかは分かり得ない からです。とすれば選んだ道で最善を尽くし、これで間違いなかったと自らが確信すればその選択は正しかったということ になります。過去の歴史的事実は変えようがありませんが、未来については何を選択したか、また何を決断したかによって 事実(結果)は異なります。過去の教訓から学んで判断をし、未来を予測するのはこれだけ動きの速いグローバル化した 現在では非常に難しくなっています。企業においては一つの経営判断を下した後に起こりうる予期しない様々な経済環境 の変化に対応し、常にこれは正しい決断であるという信念を持って道を進めば、それぞれの機会における決断はすべて 正解であったということになるのではないのでしょうか。大きな経営判断の誤りがあったとか、将来予測を見誤ったとか、 大企業にはマスメディア、株主の厳しい評価が否応なしに浴びせられます。明らかな経営判断ミスと自ら認めたときは いち早く軌道修正を施すことも重要ですが、確固たる経営者としての信念があれば、必ずしもこれに屈する必要は ありません。

2020年夏季オリンピックの開催都市が9月に東京、スペインマドリッド、トルコイスタンブールのいずれかの都市に決定 されます。東京は国民的支持が今一つ高まらないのが難点ですが、東京開催を期待しています。難題を多く抱えている 日本にそのような余裕はないとか、国家財政の一層の悪化を招くとか、新設する設備のオリンピック後の再利用をどうする のかといった否定的意見もありますが、国威発揚、経済効果はかなり期待できます。震災復興後の新生日本、観光 資源豊富な日本再発見、助け合い・おもてなしの日本文化など日本の良さを最大限にアピールできる絶好のチャンスです。 老朽化した首都高速道路網の再整備もこれを機に動かざるを得ません。日本人の人間力を示し、相対的に低下した 国家的地位をまた上に呼び戻すまたとない機会です。開催が決定された場合、2020年のオリンピックで日本がどう変化 したか、オリンピックの開催は正しかったかどうかの判断について様々な評価が下されるでしょうが、歴史的に大成功であった と後日語られるようなイベントに仕上げていかねばならないし、そのような気持ちを持って日本全体で取り組んでいかなければ ならないと思います。

世界は年々大きく、早く動いているのを実感します。人間一人一人の寿命はありますが、 国家、企業は生き続けなければなりません。変化に対応して生き残るのが真の強者というダーウィンの言葉通り、当社も 会社理念を軸に社会の変化に対応しながら正しい判断・選択をしてゆきたいと考えています。

■ 2012年10月
近隣国との間の島の領有権を巡る問題が当事国の経済に大きな影響を及ぼしています。 領有権について白か黒かの決着をつけることはなかなか難しく感じます。このまま政治的にさらに経済的に冷え込んだ関係が 続くことはお互いに良い事は何もありません。外交は弱みを見せてはいけないとも言われ、正面から攻めて主張を貫き通す ことも正しいかもしれませんが、相手国の考え方、立場も理解して問題解決の落とし所を考える必要があります。

世の中には自分とは考え方、価値観の異なる人がたくさんいます。いわゆる話が合わない、性格的に合わないといった 人たちです。こちらからの話にいちいち反論され、またこちらからも反論したくなる相手です。良く経験することですが、 会話のなかで「…でも、~ではないの?」と反論され、それに対し、こちらからまた反論するといったやり取りで、言い争い のような形になり、疲れます。安易に同調はしたくない、私は自分の考えをしっかり持っていると思われたいがため敢えて 言ってくるという面もありますが、話し相手の考え方に一度は同意・同調し、お互いの意見を尊重し合うことで会話も スムーズに進み、話が盛り上がるのではないでしょうか。聞き上手の人は、相手の意見を否定しません。肯定した上で、 こういう見方もできるのではないかと相手の立場を尊重します。

国と国との間においても同様に、「話せばお互い分かりあえる」ことを信じ、相手の立場を十分に考えた議論を戦わせれば 合意形成に至る道もあると考えます。国家外交はそれぞれの国民を意識した外交になります。国民から反感を買うような 外交を展開すれば政権も危うくなります。しかしながら国民は相手国に対し強大な力でねじ伏せるような国家を必ずしも 望みません。国民との間に信頼関係があり、国家が正しい歴史認識を示して十分に説明をすれば、どのような決断が 正しいか国民は十分理解できると思います。昨今の国家間の争いは「強がり」(根拠のないしたたかさ)ばかりが 表面に 出て、品格のない大人のケンカの様に見えます。

日本の国際社会における相対的な位置の低下は、不安定な政権、かつて世界的企業と言われた数々の日本企業の 衰退、中国の台頭などによるものですが、国際社会で影響力を持ち、堂々と日本の立ち位置、考え方を伝えることの できる真のリーダーが日本にいれば、このような外交問題においてもうまく解決できるのでしょうが、残念ながら期待できま せん。ビジネス界ではグローバルな人材が求められていますが、政界においても偏狭なナショナリズムに固執しないグローバル な人材が望まれています。言語はもちろんですが、自国の歴史、文化を語ることができ、相手に尊敬され、外交の場では 一段高い次元で、現実的な解決策を探ることのできる人が必要です。

東日本大震災で日本人の美徳が改めて賞賛されました。日本人は世界から尊敬される国民性を持っています。国家間 交渉でも力と力で相対するのでなく、情緒ある外交を展開すれば打開できるのではないかと考えています。

■ 2012年7月
最近、早朝の羽田発国内便で起きたハプニングです。飛行機の出発時間が迫っていた知り合いの家族5人が急ぎ搭乗 のチェックインを済ませ、搭乗ゲート近くのトイレと売店に立ち寄るという父親を除いた4人がゲートに向かいましたが、父親 がなかなか現れません。アナウンスもしてもらいましたが、それも聞こえていなかったようで、結局父親を残し4人が搭乗し そのうち出発時間が過ぎて間もなく搭乗ゲートを閉められ父親は乗ることができませんでした。(次便は5時間半後でした。) 乗る側の論理と乗せる側の論理は明らかに違います。乗る側の論理は搭乗のチェックインはしているので搭乗するのは 間違いなく、また近くにいるのになぜもう少し待てなかったのか、一方航空会社の論理はいつ来るか分からない一人の 乗客のために定刻運行に支障を来すようなことを認めてしまっては収拾がつかなくなるということでしょう。チェックイン荷物 があれば、その持ち主が搭乗するまで安全運航上、飛行機は出発しませんが、そうでない場合は、乗客が搭乗のチェック インをしても出発時刻を過ぎたら飛行機は待ってはくれないということは意外と知られていないのではないでしょうか。 このような事態にならないために利用者は公共機関の遅れも考慮して余裕を持って空港に来ることを心掛け、一方 航空会社は、搭乗のチェックインを済ませても搭乗の保証はされないということを利用者に周知させ、利用者はこれを 十分理解することが必要です。搭乗についてマニュアル化、ルール化されているのでしょうが、今回のケースは父親が 体調不良でどこかで休んでいるわけでなく、一緒の家族は彼の居場所を大体把握しており、間違いなく直に現れる であろうと予想される状況で他のお客様にどれほどの迷惑がかかるかを考えた場合、もう少し乗客の事情を配慮した 対応をしても良かったのではないでしょうか。サービス供給側の都合による論理が強く出て、サービスを受ける側の事情 を十分に配慮する姿勢に欠けていたのではないかと思います。

日本の家電業界の低迷の原因はメーカーが売りたいものを作り、売れるものを作らなかったと言われていますが、 サービスも消費者(顧客)に喜んで受け入れられ、本当に感謝されるものでなければ、真のサービスとは言えません。 長いデフレの中でコスト削減のために、供給側が不必要と判断するサービスがどんどん削られ、ゆとりのないギシギシ した社会になってきています。

「人は幸せだから笑うのではなく、笑うから幸せなのだ」これはフランスの哲学者アランの有名な言葉です。笑いは人を幸せ にし、自分自身をも幸せにするというものです。ゆとりのない社会からは笑いは失われていきます。また自分自身のことで 精一杯で、他人への気遣いもなくなります。幸せ感が社会から薄れて行けば笑顔がなくなります。しかしどんな社会に あっても楽しい事に思い巡らせて笑顔を忘れず、また人を喜ばせ、楽しませようとする意識を持つことが大事でしょう。 「笑い」は自然と出て来るもので受動的であり、一方「笑顔」は作るもので能動的であると言われています。どのような 世の中であってもあまり悲観的にならず、笑顔を作ることを是非心掛けたいものです。

■ 2012年4月
この度、神奈川県の産業集積支援事業(インベスト神奈川2ndステップ)の認定を受け、現工場の隣地に新工場を建設 することになりました。海外の資源需要の高まりにより大型建設機械(採掘用大型鉱山機械)、採掘鉱物の輸送に使用 される 大型ダンプトラックの輸出の大きな伸びが予想され、それらの部品窒化に対応するため生産能力の大幅なアップを図ることに なりました。新工場稼働により現在の処理能力230トンが来年の平成25年4月の稼働時には370トンに大幅にアップし、 最終的には580トンの能力まで高められます。また3月には航空・宇宙・防衛分野の品質マネジメントシステムであるJISQ9100 を取得しました。新工場建設、JISQ9100認定取得によりイメージアップした会社像を皆様にお見せできると思います。

仕事の上でも家庭においても、人との会話においては一定のマナーがあります。相手の話をよく聞くこと、失礼のない態度で 聞くこと、話を途中で遮らないこと、話に時折、頷くことが基本であると思います。思っていること、主張をお互いに言い合う ことで会話も盛り上がるのですが、思っていても口に出すべきではないということもあります。相手の立場、状況に応じて、 考え方が異なっていたとしても相手の思いを共有し、ただ同調したほうが良い場合もあります。それに気付かずに自分の主張 が相手を傷つけてしまうことが往々にしてあります。

会話の中での気付きもそうですが、毎日繰り返される情景を見て何かに気付き、感じ取るには、情報を何かに生かしたい、 何か役立つことをしたいという意識を持っていなければなりません。そうでなければ情景も、情報も素通りです。気付いても それを実行できなければ、気付かなかったことと変わりはありません。例えば道端に落ちているゴミに気付いても、それを 拾わなければ気付かなかったことと同じです。また電車で席を譲るべき人に気付いても席を譲らなければ何もしなかったことと 同じです。気付いても行動に移せないのは誰かやるだろう、やらなくても特に大した問題にならないという自分に都合の良い 解釈で自分を納得させてしまうことにあります。

仕事においては気がついても行動を起こさなければ時として重大な不具合の発生に繋がりかねません。品質マネジメントシステム では、単純なミスよる不具合は修正を施し、背後に重大な原因がある場合は是正を施します。是正を施すことによって再発 防止はできますが、それでは基本的に原状復帰です。特定事項の是正処置を施すだけでなく、より大きな問題認識に 繋げ、組織として更に飛躍する機会と捉えることが理想です。医療の世界で「下医」、「中医」、「上医」という言葉が あります。「下医」は病気を診る医者、「中医」は人を診る医者、「上医」は社会まで診る医者と言われています。「中医」は 病気の原因になっている生活習慣を直し、「上医」は悪い生活習慣の原因となっている社会構造まで考えられる医者です。 まず気がつくこと、そして行動を起こすこと、その行動によって更に一段上った高所から 全体を観察できる機会が与えられ、次の行動へと繋がり、そういった一人一人の行動がより良い社会を作り上げて行くのだと思います。

■ 2012年1月
新たな年を迎えました。昨年、日本は東日本大震災に見舞われ、多難な年でありました。今年は平穏な年になって欲しい と願うばかりですが、世界各国の指導者の交代、また経済・財政・金融面で世界的に様々な問題が噴出してきており、 今年も動きの激しい1年になりそうです。21世紀最初の10年は2001年アメリカでの同時多発テロで始まり、ITの目覚ましい 発達が世界を大きく変えた10年でした。次の10年は世界歴史上最大級の東日本大震災で始まりました。 過去の10年 とはまた比較にならないほどのスピードと変化で様々な出来事が世界各国に影響を与え、生活感、社会感、経済観念、 価値観が大きく変わる10年になるのではないでしょうか。

毎年定めている当社の今年の経営指針は「非効率経営」です。この言葉は昨年初めに、ある週刊経済誌で特集 されました。企業が効率的経営、合理的経営を追い求め、無駄を徹底的に排除する過程で本当に大切なものまで なくしてしまっているのではないか…というものです。「一つの考え、信念に基づいたムダならば、それは価値あるものへと 結びつく」これが「非効率経営」の根幹の考えです。移動ATMを設置した地方銀行、農場経営までおこなって製品原料 の小麦を育てている大手インストアベーカリーチェーン、普段空いている会議室を地域住民に開放している不動産会社 などの例が掲載されていました。 「宅急便ひとつに、希望をひとつ入れて。」これは大手宅配便会社のホームページに掲載されているメッセージです。 東日本大震災の被災地へ宅配便1個につき10円の寄付を昨年4月より開始しました。年間の宅配数が13億個 ということなので寄付金額130億円になりますが、これは純利益の4割にも相当するそうです。クール宅急便を育ててくれた 地域への恩返しということですが、心から復興を願う、会社としての大英断です。

これらの企業に共通しているのは、コスト削減、ムダ排除を最優先に考えない、また会社都合、会社利益を最優先に 考えないで常に顧客、地域のことを考えて感謝の気持ちと慈愛の心を忘れないという点にあります。息詰まるような競争 社会の中で厳しい投資家の目にさらされている現代社会では、とにかく利益を出さなければいけない、生き残らなければ いけない、競争に勝たなければならないという傾向が強くあります。しかし企業が社会に認められ永続するためには、社会 が本当に求めているもの、社会にとって本当に大事なものを正しく認識し企業価値をそこに見出して、堅い信念を持って その価値を維持し、高めてゆくことが大切だと思います。

人件費の物件費化、即戦力を狙った中途採用の増加(社員教育費削減)など大企業では人材面でも無駄の排除が されているように感じていますが、人を育てるということも企業の社会的使命です。当たり前のことではありますが「良い会社」 でありたい、そのために顧客、協力会社、地域のことを優先して考える会社でありたいと思います。

■ 2011年10月
弊社ホームページ上で披露させていただいておりますが、この度、新しい経営理念、経営方針、品質方針、環境方針を 定めました。経営理念は「会社にかかわる全ての人から学ぶ努力を続け 反省と自戒を忘れない」です。自分とは異なる 多様な価値観を持った人にも敬意を持って接し、積極的に関わり合いを持つことで、自分にはない優れた部分を学び 取ることができます。また自分の至らない点を気付かされ、それを改めてゆくことで会社と関わりを持つ方々との間で良好 な信頼関係を築いていくことが大切であり、そのことが会社の成長の原動力になり、存在価値を高めて行くと信じています。

「不相応に背伸びしてはいけないが、言い訳をしたり必要以上に自分を卑下することはもっといけない」これは日本ペンクラブ 会長の就任要請を受諾した時の作家浅田次郎さんの言葉です。背伸びして自分以上のものを見せようとすると神経を 使い、気が休まることもなく人は苦しみます。ありのままの自分を見せることで気が楽になり、まわりの人々にも安心感を与え ます。当社の経営方針の一つである「革新である必要はない、自社の強みを成長させる」には、背伸びした革新を目指すより も自社の強みを知り、その強みを少しずつ高めてゆくことで堅実に成長させたいとの思いがあります。
超円高傾向の定着、エネルギー政策変換に伴う消費構造の変化、デフレ下の増税、 企業の海外移転など大きなパラダイムの変換が現実に起きつつあります。中小企業もこの変化に無縁ではいられませんが、 このような大きな流れに翻弄されるのではなく、自分たちの実力を正しく知り、立ち位置をはっきりと定めることで正しい判断 を下せるのではないでしょうか。

10月1日より航空機、宇宙、防衛産業の品質マネジメントシステムであるJISQ9100の運用を開始致しました。2012年3月末 までの認証取得を目指しています。ISO9001は2003年に認証取得しておりますがこれをもう一段グレードアップさせ、品質 保証体系の一層の充実を図っていきたいと思っております。またISO14001につきましては2006年に認証取得しておりますが、 弊社環境方針で定めました通り、近隣から地球までの環境影響を常に配慮した事業活動を行ってまいります。当社として でき得ること、できないことをはっきりと認識し、でき得ること・やるべきことは徹底して行い、そこに大きな存在感を感じていただけるような企業を今後も目指して行きたいと考えています。

米国の一極支配が終焉を迎えつつあり、様々な新興国が台頭してきているなかで日本の存在感が薄れてきていることは 否めませんが、東日本大震災で世界から称賛された秩序ある国民性、忍耐力・結束力のある国民性という強みと、環境 対応ビジネスなど世界に誇れる強みをもっと世界に発信して、日本の立ち位置を明確にすることで存在感を示してゆくことが 必要と考えます。

■ 2011年7月
東日本大震災より約4ヵ月が経ちました。この大震災を境にして新しい日本への生まれ変わりが盛んに叫ばれていますが、 被災地の復興構想、原発問題の収束に向けての方向性は具体的に見えてきません。今回の震災はすべてが「想定外」 ということと政局の混乱もあり、大きな解決の一歩も未だに踏み出せていません。

「想定内」という言葉は何年か前に時代の寵児としてもてはやされたH氏が使用し、それ以来盛んにはやり言葉のように 使用されるようになりました。しかし人間の営み、自然の営みをすべて想定するなどということには人間の傲慢さが垣間 見えます。 最悪のことを想定していればすべてが想定内であると言っている人もいますが、すべての事象を想定し、 それに対して準備を怠りなくしておけば最悪の事態は人間の知恵と知識によって避けられるというのはいかにも人間の驕り としか思えません。 肝心なことは想定外のことが起きた時、いかに迅速にまた最善の解決策を打てるかということではない でしょうか。このような非常時には政治家であれ、企業家であれ、トップの人間性、資質というものが如実に表れます。 スピード感を持って災害復興、新エネルギー政策の道筋が示されなければならないのですが、原発完全停止の場合の 恒久的な電力不足に焦点が当てられ、長期的なビジョンが語られていません。その場その場の対応で大事なところは 先送りという政治体質、企業体質は変わっていません。

7月1日より9月22日までの東京電力管内での電力使用制限が始まりました。当社は最大使用電力500KW以上の 大口需要家として、この期間、休日、祭日を除く9:00~20:00の間は1時間ごとの使用電力を昨年同期比15%削減 することが義務付けられ、この責務を果たすべく色々な施策を実施していますが、各企業、各家庭ともそれぞれの節電 方法を考え実施していると思います。この電力使用制限期間以降も自主的な節電は国民の総意として 継続されるでしょう。私は電車通勤ですが、車内の高めの冷房温度設定に加えて通勤途上の一部区間の車内消灯 が実施されています。節電によって日常生活の利便性、快適性がある程度犠牲になることは止むを得ませんが、電気が 豊富にある生活に一旦慣れてしまうと、電力使用制限が強制力はないもののそれがいつまで、 どのような形で継続されるかがはっきりせずに新生日本の方向性がみえないままでは、国民一丸となって苦境に耐え しのぶという日本人の美徳がどこかで綻んでしまうのではないか、これまで享受できた文明国家の象徴でもある明るさが 失われ、ぎりぎりの生活感によって気持ちの余裕を失った時に、道徳観とのせめぎ合いの中で何か問題が起きないか 危惧されます。

震災前には今後の日本の成長戦略に大きなカギを握るTPP(環太平洋パートナーシップ)参加の議論が湧きあがりましたが、 震災後にはほとんど話題にも上らず、完全に置き去りにされています。災害復興、新エネルギー政策という最優先課題 に加えTPP問題、デフレ脱却、財政再建など新生日本が抱える課題に対し、しっかりとした時間軸で道筋がはっきり 示されることを期待しています。

■ 2011年4月
このたびの東北地方太平洋沖地震で亡くなられた方々、また被災された方々に対し心よりお悔やみとお見舞いを 申し上げます。

今、我々にとって被災者の方々、被災地に対して何ができるか、考えさせられる毎日です。 復興への道のりはまだ大変遠いと思いますし、復興支援に手を差し伸べることは、直接的、間接的に完全復興 まで様々な形で可能です。息の長い支援と被災地の再興を日本全体で成し遂げるといった総意の中でできる ことをやって行きたいと思います。

自然には恐ろしい自然と美しい自然の両面があります。海に囲まれ、山に抱かれた美しい自然に恵まれた日本は 自然と共存してゆかねばなりません。自然から大きな恩恵を受けています。地形的に津波の被害を大きくして しまった美しいリアス式陸中海岸国立公園は観光資源、豊富な漁業資源として近隣の住民の方たちにとって 大きな恵みであったと思います。想像を絶する今回の大災害は人間がその頭脳、あるいは経験によって築いて きた英知は時として無力であることを知らしめました。人間としての驕りがあったのかもしれません。人間は自然の 恵みの中で生かされていることを深く認識し、自然と対峙するのでなくまたこれをかわすのではなく共存してゆかねば なりません。自然に感謝し、愛でる気持ちを忘れてはいけません。被災された漁民の方が、「復興したらまた同じ ところに住んで漁業に戻りたい、津波が来たらまた逃げればいい」とインタビューに答えていたのが印象的でした。

例年であれば今の季節は桜に囲まれた春爛漫の希望に満ちたものであったはずですが、全国各地での自粛ムードは 大人数でのお花見自粛という事態にまでなっています。震災、津波に加え、原発問題もどのような形で終結するか 全く不確実な社会状況の中で自分たちだけ楽しむことはできないという日本人の美徳ともいうべきメンタリティは 十分理解できます。どうしても周りの目を気にする、不謹慎だ、非常識だといった批判的な目に晒されることを嫌う 国民性がそのような行動を取らせています。しかしながら被災地復興に向けて日本全体が元気にならなければなりません。 現在の過剰ともいえる自粛ムードはリーマンショック後にやっと戻りかけた経済の回復基調に水を差すことになりかねません。 多くの部品工場が被災したため自動車、半導体などの減産による経済減速は物理的理由であり致し方ありませんが、 広域にわたる消費行動の抑制は日本全体の経済活動の更なる停滞を招いて被災者を決して明るくすることは できませんし、これからの復興支援にも影響を与えかねません。下を向いてばかりいては前に進めません。被災された 方々が抱いておられる将来不安をできるだけ早くそしてできるだけ多く取り除くために、行政と民間が一体となった挙国 一致の復興策を期待したいと思います。

■ 2011年1月
毎年定めている会社の年度経営指針、今年は「強さへの成長」です。規模の成長はもちろん必要 ですが、それ以上に質の成長が必要と考えています。会社としてこの点では絶対に負けない、 この点に存在価値があるという強みを更に磨いて、他社との差別化を図っていきたいと思って います。他社にはない設備、他社にはない技術力などは差別化のはっきりとした目に見える因子 ですが、突出した技術の優位性、素晴らしい設備がなくても、信頼を裏切らない、丁寧な 仕事をする、あそこに任せておけば品質、納期面で全く問題ないといった信用を勝ち取ることが できればその信用は技術、設備に優るとも劣らない強みと考えます。規模の拡大のためにしっかり とした戦略、勝算もなく設備投資、開発投資を行えば、それまで持っていた強みを失うことにも なりかねません。強みを成長させることで規模の成長が結果として付いてくるのではないかと思って います。会社の評価・価値は売り上げ規模、利益の規模、または派手な社会貢献でなくこの会社がなかったら困ると思ってもらえるかどうかということではないでしょうか。

「変わらずにいるためには変わらなければならない」これは貴族の没落を描いた古いイタリア映画「山猫」の中の セリフで、政権与党の某政治家が良く引用する言葉です。 企業にあてはめるならば「企業を永続させるには 変化に適応しなければならない」ということになると思います。変わることそのものが大義・目的として、変わる ことの意義を考えないチェンジはただ混乱を招くだけと思います。世の中は気づかないうちに静かに変化しています。 それは必然的なものでヒシヒシと感じられるものです。ただそのような変化を過剰に意識し、自社も変わらなければ ならないとして前のめりになると視野が狭くなり、本来その会社の持っていた強みが置き去りにされ、過当競争に 巻き込まれるなかで会社の存在価値を失いかねません。世の中の変化の自然の流れの中で知らず知らずに 変わり、結果として順応できているのではないでしょうか。「無意識の意識」すなわち意識しないということをあえて 意識するということも必要なのかもしれません。人間のみならずすべての生物は変化に対応して生きています。 変化に対応することは生き続けるための本能だと思います。

日本は国際競争力、一人あたりのGDP、子供の学力など多くの国力の指標が低迷しています。制度の見直し をしなければいけない分野もあります。日本もかつては追う立場で先進国のトップレベルまで行きつきました。 しかしトップで居続けることはなかなか難しいもので新興国の台頭は自然な流れです。国の栄枯盛衰は歴史が 物語っています。これからは日本にしかないもの、日本の強み、日本にしかないものを世界的にアピールして存在感 を示してゆくことが大事なのではないでしょうか。先進的技術もまだまだありますし伝統的文化、自然、食べ物等、世界 に誇れるものは色々あると思います。日本の常識は世界の非常識などと言われていますが、これは少し乱暴な揶揄 で日本の常識がすべて悪いことだと判断してはいけません。世界の国々それぞれ価値観は違います。他国の価値観 からみてなかなか理解しにくい考え方、制度、社会システムなどもあるかもしれません。ただ日本の常識で良いものを 世界に理解させることで、世界平和に貢献できる道もあるかもしれません。

■ 2010年11月
昨今の円高傾向は止まりそうもなく、大手自動車メーカーの海外生産、国内逆輸入の流れも出てきて国内産業の空洞化 がますます激しくなりそうです。 中小企業は海外進出の大手メーカーと共に海外に進出しなければ、生き残れない厳しい 現実に直面しようとしています。 政権交代して1年が過ぎ、交代当初は政権交代したという事実の熱狂と興奮でその実感はあったものの、今や大きな 期待感は急速に萎み、日本の政治はやはり変わらないとの印象を内外に強く焼きつけています。政府・日銀の超金融緩和 政策もほとんど効果なく、デフレ脱却の兆候はまだ見えません。各企業とも景気先行きには慎重で内部留保を蓄積し、 景気を刺激する投資にはなかなか資金が回りません。個人消費もエコ減税で自動車、家電が一時的に売れましたが、 それも終息し全体的な消費の盛り上がりには至りません。当社業績もだいぶ回復しては来ているものの、リーマンショック前の 水準まで戻るのにはまだしばらく時間がかかりそうです。円高が是正され適正な為替水準に戻るのを期待したいと思います。

あってはならない大阪地検特捜部のデータ改ざん事件が起きました。データが改ざんされたまま公判が行われ、そして判決が 下されるまで改ざんに関わった人たちはどのような心情でいたのか想像もつきません。なぜこのような改ざんを行ったのか、成果 を求める組織のプレッシャーがそうさせたのか、あるいは身勝手な出世欲があったのかは分かりません。少なくとも人をだます、 人を傷つけるという意識はあったのだと思いますが、理性が麻痺しこの感情を抑えきれなかったのではないでしょうか。自分より 先に他人に良かれという自利利他の精神からおよそかけ離れた行動は、以前の食品偽装問題を思い出させます。

「ていねいに生きる」これは著書「がんばらない」を書いた医者であり作家である鎌田實氏がある著書で言っている言葉です。 「がんばらない」は医師という立場で人生最後の瞬間までぎりぎりがんばって周囲に気を使い自分というものをさらけ出さない 患者さんたちに言ってあげたい言葉で、極限の努力を続ける人間への応援歌だとある雑誌で表現していました。 「がんばらない」という意味は努力をしないということではなく、等身大の自分を無理して見せる必要はない、無理すれば 続けられないし、いつか綻びが来る。人生疲れるし楽しくもなくなるじゃないかというメッセージが込められています。 努力は 怠らずしかし無理はせずに「ていねいに生きる」気持ちがあれば、社会全体の閉塞感、ギスギス感がなくなってゆったりとした ものになり、社会的犯罪はだいぶ少なくなるような気がします。
心に余裕があれば、周囲に目を配り、気を配り、自分が何をなすべきか、何をしてはいけないかがはっきりと見えてくるもの です。心に余裕を持つには背伸びをせずにあるがままの自分を認め、自分を好きになることだと思います。誰でも長所は あります。自分では気付かなくても他人からはそれが見えるものです。自信を持って丁寧に生きることでゆとりのある 明るい社会が見えて来る気がします。

■ 2010年7月
ようやく景気に明るさが見え始め、二番底の懸念は遠ざかった感じはするものの、ヨーロッパの金融不安はいまだくすぶっており、本格的な景気回復への道のりは遠そうです。
このようなすっきりしない気分を一時的にも忘れさせてくれたのがサッカーW杯でした。

サッカーW杯は日本代表が活躍したこともありますが、日本の人々を熱狂させました。W杯の魅力は、サッカーは世界的人気のスポーツであり200以上の国々が予選から参加する4年に一度の国と国との戦いであるということです。この世界最高のスポーツの祭典で勝ち抜いて頂点に立つためには、実力はもちろんのこと、戦略、戦術といかに試合の流れにうまく乗るかという要素が必要だったと思います。
サッカー、テニス、野球、ゴルフなどを見ていると良い流れを如何に持続させるか、また悪い流れをいかにして断ち切るかまさに相手との精神力の勝負といえます。なぜ試合に流れがあるのか?勝負は人と人の心のぶつかり合いだからです。相手がコンピュータであれば(コンピュータゲーム)流れが変わるなどということはありません。
気分が乗っているときはどんどん攻めの気持ちで前に進めますが、このまま良い状態が続くわけはない、そろそろ守りに入った方が良いなどと弱気になると体がそれに反応し動きがぎこちなくなります。そこに相手を付け入らせるきっかけを作ってしまいます。「チャンスのあとにはピンチあり」言い尽くされた言葉ですが、この格言そのものが当事者の精神状態を変えてしまうこともあります。これを跳ね返す、あるいはその通りにできる強い精神力を持った者が試合をコントロールできるということになるのでしょう。
精神力の強さとは何か?それは最後まであきらめない、決して自暴自棄にならない、すべての場面で冷静に状況判断ができて、逆境に打ち克つことができるということではないでしょうか。野球では、9回2アウトから、テニスではマッチポイントを握られてからの大逆転は良くあります。あと1アウト、あと1ポイントで敗退といった場面では、リードしている方もプレッシャーは相当なものです。「相手も苦しいんだ!」と考え、いかに冷静になれるかが精神力の強さではないでしょうか。
残念ながら敗者になってしまった者の無念さ、悔しさは本人にしか分かりません。この時に素直に勝者を褒め称え、勝者の引き立て役を演じること出来る人が、真のスポーツマン、尊重されるべき人間であると言えます。勝者もいつかは自分が味わう敗者の気持を汲んで高ぶる感情を抑えて敗者への配慮を忘れてはなりません。私自身、テニスとゴルフを愛好する者として、精神力の強さ、スポーツマンシップはまだまだ足りないこと実感しています。

スポーツ以外の世界で勝ち負けはあるのでしょうか?私はないと思います。人生の勝者・敗者、勝ち組・負け組、メディアは良くこの言葉を使いますが、そんなものはありません。第三者が判断すべきものではありません。先の参議院選挙は自民党勝利、民主党敗北と多くのメディアは報じましたが、改選議席数を上回った、下回ったということだけで単純に勝敗は付けられません。スポーツにおける勝負の世界は共通のルールに従った、勝ち負けのはっきりした真剣勝負、その緊張感が見る者を引き付けるのではないでしょうか。

■ 2010年4月
当社にとっても10年ぶりとなる厳しい2009年度末が終わりました。 新たな2010年度の始まりとして、心を新たにしているところです。

国民不在の政治が叫ばれています。閣僚から「国民の声を良く聞いて判断をしたい」というようなことが言われていますが、 そもそも国民の声とは何なのか?内閣支持率なのか、街頭インタビューなのか、あるいはたまに行う一般視聴者参加の 討論番組なのか?日本においてはメディア論調が国民の声に置き換わっている感じを受けます。 大規模な国民集会、デモなどがほとんどない日本では良識のある立派な世界感を持った政治家に国家の針路を任せる のが理想の姿といえます。民放で人気の「現職議員や評論家などが参加する」政治討論番組がありますが、言い争いが 多く、相手の発言を途中で遮り相手を中傷、挑発する場面がかなりあります。娯楽として見ている分には面白いのですが 有益な話し合いには程遠い感じを受けます。英語で「Agree to disagree」という言葉があります。「賛成はできないが、言っていることの意味はわかるし、そのような考え方があることは理解できる」ということですが、この点に欠けています。
世の中に起きている現象のなかでこれが正しいなどと言い切れるものはありません。例えば物価安の今のデフレ社会が良い のか、便利なようですが人間までが機械化している(機械に支配されている、あるいは人間がマニュアル化している)世の中が 良いのか、努力した者が報われる格差社会を作ることが良いことなのか、誰にもわかりません。 事実として動かしがたいもの、例えば1+1は2、現在の日本の首相は鳩山由紀夫、GNP世界一は米国、これらはいずれも 正解は一つしかありません。一方で人が下した決断が正しかったか否かは歴史でも証明できません。例えばイラク戦争が 勃発した事実は歴史として残りますがそれが正しかったどうかは、歴史は証明できません。正しいか間違っているかは その人の考え方、価値観によって異なります。自分の考え方を他人に押し付けてはいけません。他人の意見を聞いて自分と は異なる考え方を知り、新たな発見をしてそれを自身の思考回路に組み込んでゆく、人から意見されるということを素直に 受け入れる謙虚さを持つことが必要と思います。

勝ち組と負け組、セレブと下流、このようにランク付けをする風潮がはやりです。どのような根拠で分けているのか曖昧です。 例えば年収で勝ち組、負け組を分けるようなこともしています。年収が多い人の生活パターンはこうであるとか、考え方は こうであるとか面白おかしく分析する経済誌などもあります。ランク付けすることで視聴者、読者の興味を引き、自分はどちら なのか関心を持たせ、一部の人に優越感を味わわせるといった意図がそこから読み取れます。勝ち組か負け組か、あるいは セレブなのか下流階層なのか、それを決めつけることに何の意味があるのでしょうか? スポーツなど厳しい勝負の世界は もちろんありますが、人生はその生き方に違いがあれ、そこに勝ち負けはありません。考え方、生き方は多種多様です。 どちらが正しくてどちらが正しくないというようには分けられません。多種多様であることを理解し、お互いに尊重し合う気持ちを 持つことができればもっと潤いのある社会になるのではないでしょうか。

■ 2010年経営指針:『目配り・気配り・心配り』1月掲載
政権交代し、デフレ宣言された激しく厳しい2009年が明け新しい年2010年を迎えました。
2009年を振り返ると世界においてもまた私自身の周辺でも様々な出来事がありました。その時々では大騒ぎし、動揺し、大議論が起きたようなことでも、時間の経過とともに過去のものとして遠ざかり、どんどん記憶から薄れていってしまう、それがどのように現実に影響を与えたのか考える間もなく今と向き合っている、そんな感じがします。過去は変えられないという事実と、重要なのは今ある現実だという思いがそうさせているのだと思います。 毎年定めている一年の経営指針、今年は「目配り・気配り・心配り」です。 ある雑誌のインタビューでホテル会社の社長さんが経営上大事にしていることとしてこの「三配り」をあげていました。古典的な言葉ですが最近あまり目にしなくなり、聞かれなくなったような気がします。 目配り=普段目にしている現象のなかで何かに気付く努力をすること 気配り=その気付いたことに自分が何をなすべきかを考えること 心配り=そしてそれを実行すること 自分が社会からあるいは自分に関わる周囲の人たちから何が求められているか、それに対して何ができるかを常に考えて実行すること、簡単なことではありませんが、このことを心掛けて行けば、思いやりに溢れた素晴らしい社会になるのではないかと思います。自分がやらなくても誰かやるだろうではなく、誰もやらないだろうから自分がやる!この気持が大事です。「人は行動した後悔より、行動しなかった後悔のほうが、深く残る」これはアメリカコーネル大学のギロビッチ博士の名言です。実際に行動した結果で後悔することは良くあります。でも行動しなかったことを悔むこともずいぶんあります。行動しなかったことで結果が良かったとしても後悔することもあります。それは行動すればもっと違った素晴らしい結果があったのではないかと思い悩むことがあるからです。 「成功」の反対語は何か?「失敗」ではありません。「何もしないこと」・・・です。 行動しなかったことを後悔したら、反省と自戒を忘れてはいけません。反省と自戒によって行動する勇気が徐々に湧いてくるのだと思います。 「三配り」は政治においても求められます。新政権には期待された政策実行のスピードが伴っていないとの批判がありますが、政策はこれまでの政治家目線、官僚目線から国民目線にはっきりと変わってきています。国民目線で色々なことに気づき、考え、そして実行する、そのことを大いに期待したいと思います。

■ 2009年10月
自民党から民主党への政権交代が実現し、日本再生の期待が大いに膨らんでいます。「予算をどうする!」調の論評が目立ちますが、長年に亘る自民党政治土壌からのチェンジですから時間はかかります。長い目で見守る必要があると思います。政権交代時に前後して城山三郎さんの「官僚たちの夏」が民放テレビで連続ドラマ放映されました。私はこのドラマにおける戦後経済復興期における通産(通産省:現在の経済産業省)官僚の活躍振りを見ながら、民主党は脱官僚(依存)政治をどのように実行してゆくのか、日本の政治文化あるいは政治土壌において官僚の果たす役割は今後も決して少なくないのではないかなどと考えさせられました。これまでのように官僚主導ではなく官僚と同等に論議を交わせるほどの知識・見識を持った政治家が官僚の意見を汲みながら自らがリードして法律を立案してゆくことが求められているのだと思います。官僚が変わるのではなく、政治家が変わらなければなりません。

あるべき職業倫理とは何だろうか?と最近考える機会がありました。職業倫理を論ずるのに良く引用されるのは江戸時代の二宮尊徳と近江商人の思想です。企業は利潤をあげなければなりません。一方で職業上の倫理・道徳は守らねばなりません。利潤と道徳をどう両立させ企業を存続させるか?彼らの考え方が非常に参考になります。二宮尊徳は「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」、また近江商人は「売り手よし、買い手よし、世間よし」という言葉で職業倫理を表わしました。すなわち利益追求することは「真」である、ただし道徳がなければ「悪」と言う考え方です。顧客、仕入れ業者、従業員、株主など企業を取り巻く関係者すべてに良かれと言う考え方が基本にあっての営利追求でなければいずれ社会から見放され淘汰されます。高い職業倫理感を持って商売をすれば人が集まり、仕事が集まり、おのずと利益はついてくる、利益と道徳は不可分のものであると言えます。
相当厚い内部留保があるにもかかわらず、株主重視で企業収益を回復させるために一流企業さえも当然の如く人員整理を行っていますが、従業員、社会全体のことを考えていません。しっかりとした職業倫理をもって経営にあたっている会社が本当の一流企業といえるのではないでしょうか。

国民のデフレマインド、企業のデフレマインドが依然として広く蔓延し、国内企業物価指数、消費者物価指数は低水準のままです。まずまずの品質とこれが100円!といった珍しさで一大ブームを引き起こした100円ショップもその成長が曲がり角に来ています。今は100円も決して安くはない、100円でも満足できる品質の高い商品づくりが求められているようです。デフレの長期化は決して健全な経済現象ではありません。どこかで断ち切らなければなりません。そのためには国家予算の無駄の排除と有効な配分、体力の続く範囲で雇用を確保する企業姿勢、消費者が安心して家計支出できる将来不安の解消などが必要です。国家は高い政治倫理を企業は高い職業倫理を抱くことによって、新しい日本へ'チェンジ'できるのではないかと強く感じます。

■ 2009年7月
今年度も、はや第一四半期が終了しました。不況の嵐は弱まるどころか、ますます強くなって当社にも 襲いかかってきています。まだまだトンネルの先の光が見えず、長期化は必至の状況ですが、慌てず、動揺せず、平常心を 失うことなく経営にあたって行きたいと思っています。日本全体を覆っている長期化した閉塞感、不況感が蔓延しているなか で気をつけなければならないことは、周りも皆苦しんでいる、ひとりじたばたしてもどうしようもないといった諦めの気持ちが強く なり、苦しい者同士が互いに慰めあっているうちに、やがて危機感も薄れ、気がついたらもう引き返せないところまで追い込ま れていた・・・ということがないように、自社が置かれている状況を常に冷静に把握することが、必要です。

このような不況時においては、「これまでやれなかったことをやる絶好の機会だ!将来に備えよう!」というようなことを語る 会社、経営者の方が見受けられますが、これまで時間がなくてできなかったものとは何なのでしょうか?必要であれば時間を 作ってでもやるべきものをこれまでやらずに済ませていたということは、本当は必要ではなかったのではないでしょうか?時間が ない、そこまで考える余裕がないなどの理由で物事を後回しにしてしまうことが往々にしてありますが、時間は自らが作る もので与えられるものではありません。時間があったらやろうなどと思っている事は忙しい日常の中では後回しにされ、いずれ 忘れてしまいますし、それで支障なければ本来やるべきことではなかったと言うこともできます。本当にやらなければいけないことは好況時、不況時に関係なくそのための時間を作るべきだと思います。

人の言葉の軽さを感じることがあります。久し振りに会った友人、知人から「今度飲みに行こう、近いうちに連絡するよ!」 とか、「暖かくなったらゴルフやろう!」と誘われることがあります。結局何の連絡もなく、こちらからも連絡しない限りそのまま 立ち消えになってしまうというケースが多くあります。相手はさらっと受け流すだろうと軽い気持ちでその人は言ったのでしょうが、 そうでなくちゃんとしたオッファーとして受け取る人も多くいるということが分かっていません。政治家が誤った思考回路で失言し、 騒がれると本当の発言の意図はこうだったと言い訳をし、あるいは撤回をするとかで収拾を図りますが、人の言葉は重い ものです。簡単に取り消せるものではありません。世の中には様々な考え方の人がいて言葉の捉え方も様々だということを 理解しないと本当に相手の立場に立った物言いはできません。

この不況下、これまで経験しなかったことに遭遇し、向き合わねばならないことが多くなってきています。逆境の時に如何に 自分に厳しく、他人に優しくなれるか、「人間力」が問われている気がします。

■ 2009年4月
世界的な金融危機から生じた急激な景気悪化からの脱出出口も見えないまま2008年度は終わり、当社でも新しい年度が始まりました。今年度は2008年度以上に厳しい1年が予想されますが、全社員で危機感を共有し、一体感を更に強めてこの荒波を乗り切って行きたいと思っています。人間の知恵(と言うよりも人間の尽きない欲望)が生み出した金融工学という新しい世界に人間が振り回され、経済が振り回された結果が現在の姿ですが、実態のある経済成長、節度ある経済成長を見直す良い機会ではないかと思っています。

停滞気味の日本に久し振りに日本中が沸きあがる出来事がありました。WBCでの日本の劇的な2連覇です。昨年の北京オリンピック以上に日本中で熱狂的な盛り上がりを見せましたが、これほどまでになぜ熱くなれたのでしょうか。国対国の戦いであること、負けてはいけないトーナメント形式であること、1球1球が真剣勝負の緊張感の途切れない結末が予測できないドラマであること、などが挙げられると思いますが、それに加えて国家間の考え方の違いも、文化の違いもそこには存在しない世界共通の公平なルールでの勝負で、選手たちの真剣さ・必死さが伝わり、選手も応援している日本人も全員目指すものは同じであるという一体感が、これほどまでの感動を呼び起こしたのではないでしょうか。感情をあまり表に出さない日本人が、知らない人同士でハイタッチをして抱き合って喜ぶと言う光景は全員が一致した究極の達成感から出た行動だと思います。

一方で、政治にはなぜ国民の熱い視線が向けられないのでしょうか。それは政治家の必死さ、熱意がほとんど伝わってこないからではないでしょうか。政局よりも政策ということで国民の世論を軽視し、国民の審判を先延ばしにしている現在の政局運営に関する与野党の攻防を、別の世界の出来事のように冷めた目で国民は見ている感じです。日本が目指す方向性が明らかにされないまま、場当たり的な政策に終始しているのでは、国民の誰もが熱い思いを共有できるはずはありません。政治で世の中は変わらないと諦めている人が多くいるのが事実です。

小学校教師が、国会議員へ転じ、そして日本の総理大臣に昇りつめ、様々な斬新な政策を実施して国民の圧倒的な支持を得てゆくというストーリーのテレビドラマ「CHANGE」が昨年放映されました。これをご覧になった何人かの方は'こんなことあり得ない!'、とか、'こんな政策は現実離れしている!'と感想を述べていましたし、そう感じた方が大多数派ではなかったかと思います。しかし、'あり得ない!'は何を基準にしてあり得ないことなのか、それは不満があっても仕方がないといって半ばあきらめ、大きな変化を望まない日本人の考え方・価値観が尺度になっているからではないでしょうか。'あり得ない'ことが実際に起きてしまう、あるいはその予兆を感じさせる日本に早く'チェンジ'することを強く願っています。

■ 2009年1月
今年の経営指針は「流れに逆らう」です。
自分勝手な生き方をするとか、協調性を持たないとか、反逆精神が旺盛といったような悪い意味ではありません。現在の風潮として、人は大きな流れの中にいると、その流れが正しい方向に向かっているのかどうかを疑わずに身を委ね、思考停止に陥ってしまう場合が往々にしてあるのではないでしょうか。一旦立ち止まり、本当にこの流れに乗って良いのだろうか、正しい流れなのだろうかと問いかけ、時には流れに逆らい信ずる方向に転換することが必要だと思います。
2008年はまさに激動の年でした。世界の金融危機がグローバル化の中で日本をも飲み込み、信じられないような短期間で企業を減産計画、雇用調整に走らせました。将来に不安を抱かせる現状では消費支出を抑える消費者行動、また設備投資を控える企業活動は理解できますが、消費者心理を一層冷え込ませる企業の雇用調整はやはり行き過ぎだと思います。新聞、テレビでは毎日がその種の報道で埋まっており、一億総悲観ムードが漂っています。外需に大いに依存している日本が世界の景気後退に大きく影響受けるのは致し方ありませんが、外需依存から内需拡大へ産業政策を考え直す良いきっかけとなるのではないか、またあまりにも自由過ぎる資本主義経済の問題点が今回明らかになったと考えても良いのではないでしょうか。株安、円高、企業倒産など不況の暗いニュースばかりが報道されていますが、一方で昨年前半にあれほど騒がれた資源高は夏以降安値に転じ、原油、穀物価格は相当安くなっています。日本のリーディングカンパニーが輸出企業のため、円高の輸出競争力低下のマイナス面だけが強調され、輸入物価に与えるプラス面はあまり話題にされません。これらの現物が実際に日本に到着するまでのタイムラグがあるにせよ、輸入価格は原料安と円高でこれからはかなり安くなるはずです。テレビ、新聞で報道されるのはニュース性、話題性のあるものに重点が置かれ、本当に国民が知りたがっていることが報道されないことがあります。国民一人一人が賢い読者、視聴者になって、報道記事に流されるのではなく真実を読み解くことが必要と考えます。
今年の世界経済は一層厳しくなると予想され、楽観する声はあまり聞かれません。ただ2009年世界のGDP成長率は1%前後のプラス成長は見込まれ、東南アジア、中国では成長率は鈍化するものの依然高い成長率が予想されています。昨年の世界的な実態経済の信じられないほどの急速な悪化は「信用」の収縮というよりも、「信頼」の収縮が招いたものだとある知識人が言っていましたが、収縮された信頼を回復させるには現状を憂うだけでなく冷静に現状を分析し、プラスの部分を探すことのできる思考方法が必要ではないかと思います。
当社も厳しい1年が予想されます。現在起きていることは事実として受け止め、ただ大きな世の中の流れに身を任せるのではなく、事実が必ずしも真実ではないことを忘れずに当社として信ずる方向に向かって行きたいと考えています。

■ 2008年9月
オリンピックの喧騒が過ぎ去りました。原材料高、燃料高、不況という厳しい現実が目の前にあります。ある有名企業の社長さんが「経営に失敗はない。あるのは一喜一憂だ。」と言っています。かなりの自信家に見えますが、なるほどと思う部分はあります。見通しの誤り、判断の誤り、決断の誤りを、うまく修正して立て直し、一喜一憂を繰り返しながら会社を安定的に成長させることが経営者としての責務ということでしょう。決定的な失敗と思われるような時でも、解決策は必ずあるという信念を持つことが、重要ではないでしょうか。

最近、言葉の大切さを実感しています。昔から以心伝心という言葉があるとおり、日本人には態度で気持ちを汲み取って欲しい、言葉ではうまく言えないし、照れくさいということがあるのでしょう。しかし受け取る側は言葉で表わして欲しいという気持ちが強いと思います。人を感動させる言葉があります。映画、ドラマなどを見て涙を流すのは感動の場面ではなく、感動する言葉(もちろん背景となる場面も大事ですが)ではないかと思います。静かに時間が流れる中で多くを語らない人から出る感動的な言葉・・・決して難しい言葉ではないが、心のこもった言葉が人を感動させるのだと私は思います。
流行語が毎年生まれます。これは人の記憶には残りますが、言葉として感動的なものは少ない感じがしますし、その流行語を実際に使えるかとなると結構勇気がいるものです。となるとこれは「流行語」ではなく、「印象語」としての位置づけとした方が良いのではないでしょうか。今、はやりの造語に至っては女子高生が競い合って作り出しているようです。それをマスコミが取り上げることでさらにヒートアップしてゆく流れがあります。昨今は分かりやすいワンフレーズの言葉が大衆受けします。分かりやすいと言うことは聞いた人が考えることなくストレートに受け入れてしまう怖さがあります。元首相の言った「自民党をぶっ壊す」というフレーズは、非常に分かりやすい衝撃的な言葉ですが、冷静に考えればできるわけがありません。

オリンピック以降、「勝ちたい気持ちの強いものが勝負では勝つ」という言葉がスポーツ選手の間で流行って来ていますがこれもなるほどと思わせる言葉ではあります。しかし、勝ちたい気持ちは皆持っています。そんなに簡単なものではないと思います。戦術、冷静な判断、ここぞという時にこれまでにないような実力が発揮できる精神的な強さ、勝負どころを見極め一気に攻められる優れた勝負勘、肉体的な強さ、これらが備わっている真の強者が勝利を勝ち取るのだと思います。見せかけでない本当の実力を持っていないと勝負には勝てないということだと思います。

言葉はその国の文化と言えます。最近は面白い言葉、大衆受けする言葉、カッコいい言葉、造語など話題性のある言葉が注目されていますが、素朴でも考えさせられる言葉、感動する言葉に多く出会いたいと思っています。

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